【‘‘開運‘‘を考えてみる】
我々占い師が出す看板や観光地の土産物屋、TVなど家の中、街中問わず『開運』の文字を目にする機会は多い
自分も占い館での鑑定、荻窪での街頭運命鑑定や現在の吉祥寺占い館『たいゆう堂』での対面人相術運命鑑定という
具合で『開運・人相術運命鑑定』やって来たわけです。 そこで考えるのは『開運』ですよねえ 此処で云う開運とは
ちょっと良い事有った程度などの、目先の或はつけ焼き刃的な『開運』のことではありません 根本的、天理に適う『開運』の事。
今まで来てくれたお客さん達は『開運』できたのであろうか 自分は、自分で自分を『開運』させる事が出来ているだろうか。
占い師は『開運』に付いて、真剣に取り組まなくてはウソなのである。 自分で自分を『開運』させる事は、
自分及び他人を開運させるだけの実力が有るという意味です 逆もしかり。 しかし、『運命』は簡単にはいきません
‘‘相は器なり‘‘で、開くだけの運を持っている人であれば『開運』は可能です 先祖の福徳、家系の良い因縁(父母・先祖の徳)
神仏の加護、自分自身心の持ち方が大きく可否を分けるところです 忠孝・陰徳・節倹・明理の心を持つ人であれば、必ず天理に適い
自ずと天の助けを得るのですね 開かぬ者は、開かないだけの運命を持っています(陰相しとる) 此れは忠孝・節倹・陰徳・
明理を軽んじ、父母先祖の徳を重んじないからなんです。 現場で鑑定していても話しに聞く耳持たぬ者などもこれに当たる
‘‘相は器‘‘とはよく言ったもので、全くその通りです 器が大きいか小さいか、運の開く人かこれでは開かんという者が
あります。 今までの人相術運命鑑定で言える事は上記の忠孝・陰徳・節倹・明理の心を持たぬ者、偏屈者・小人・器の小さい者などは
運の開かぬ代表格と言えましょう この様な者は流年の相が良いのに生涯困窮するのは上記のことから来るものです
この様に相が良くても悪しき心の持ちようなれば運は開きはしません 此のHPコラムでも書きましたが、人相術運命鑑定は
骨格や気血色、眼相だけ観て判断するのではなく、『心の持ちようはどうか』と、『心の動き』を観て判断する事が
人相術運命鑑定の肝なのである。 故に、忠孝・陰徳・節倹・明理の心が生じ、父母先祖の徳を重んずるならば数年で
悪い流年も善に変化するというのです 陰相が善の陽相に変わるという事は運命も変化して吉い運命に変わるという意味だ
此のことから考えてみれば吉い相(吉い運命)であっても、上記の心動き無くせば吉い運命も悪しき運命へと変化し凶ずい
運命になるという事です。 相は心に随う故、相は観たまま観た通りの運命ということであります 『開運』する相(運命)、
『開運』しない相(運命)の別はあります 亦た此のふたつの中間とでも言いますか、其の相‘‘それなりの福分が有る‘‘という
平運の者も有るということも付け加えておきます。 人相術運命鑑定の初学の者は骨格などの有形の所を観、経験を重ね
進むに連れ、気色・血色・神動線・画相・気・神気・雰囲気などの無形の所を観る。 もっと奥に行けば眼相、眼の奥に有る心を観るのである
鑑定の始めに忠孝の心はあるか、明理の心はあるか、普段からの心の持ちようはどうか、言葉遣いはどうか、此れ皆な心を観す。
これらを知ってから人相術運命鑑定を始めれば良いのです。 器の大きさ、其の心と、心の動きを観れば『万に一失なし』である
災難も心は知っているのだから心の動きとして現れる 人相術運命鑑定、観相というのは奥が深く大変に役に立つものです
『開運』運が開く者は器を大きくする努力をしている者である、と実地対面鑑定していて感じます 反対の小人は運開かん。
器が大きければ幸せも財も愛情もそれだけたくさん入るわけで、器が小さければほとんど入りません
器を大きくして、大きな人物になれば、幸せもお金も愛情も楽しみもたくさんで幸せですね 此の状態なら、とっくに開運しとります。