人相術を考える

人相術・人相鑑定は、神気(シンキ)を重視する。だが、此の神気という言葉すら知らぬ者が大変多い、神気が判らないと人相鑑定が始まらないのだが。しかしこれが現状だ。 世間一般に人相というと、やれ眉毛がどうだ、鼻がどんなだ、口がこんなだ、額の形や頭や耳がこんな形の人は性格が○○だなどとやっておるのをよく目にするが、実はそうではない。そうではないというのは、『そうも看るが、鑑定のメインではない』というのが正しい。もっと言えば、鑑定の最後に看る項目と言えばぴったりでなのである。つまり、個々の部位パーツを取って性格がどうのなどが人相術鑑定のメインの項目ではなく、もっと重要で先に看なければいけない項目が幾つも有るということだ。神気は此の事の代表格で先ず一番先に看ねばならぬところである。神気とは神と気だ神はその人の生命力で眼に現れ、気は表に現れた雰囲気といってよかろう。人に清濁・正邪・強弱・善悪・器の大きさ・栄枯盛衰があり、神気もこれが有る。人を看る時は先ず、パッと見てその人の神気を識別判断する事が第一である。そしてもうひとつ重要事項は、骨格を観て判断するのだが、全身を観るのが適当である。顔だけしか見ないというのは間違いで、頭の先から脚の先まで全体をよく見なければ判断などできないものである。人相術鑑定家は性格診断屋ではなく、運命鑑定家なのである。故に、先にその人の一代の運命を大きく掴み、(成功するかしないか・結婚はするかしないか・すると判断すれば一度で治まるか・子供に恵まれるか・こどもは育って自分の力になってくれるか・晩年は子や孫に囲まれ幸せに暮らせるか)などパッと掴むことが先なのである。これを看た後で絞りこみ、個々の部位を観ていけば宜しい。その人の一代の運命が看終わった時点で次は気色相法で今起こっている問題は何か、誰が関わているのか、その成り行きと結末を看破するのが気色・血色・神動線・画相である。この様に、『世間一般の思う人相』とはだいぶ異なる。しかし、これを伝えない事には日本の人相術・鑑定技術が絶えてしまうという現状が進行してしまうのである。私はこれを食い止め、日本に再度広め、残したいと考え人相術普及活動を行っている。一人でも多くの同士仲間が増え、この活動が実を結ぶことを願って止まない。