人相術辞典       【ゆ】・【よ】・【ら】

『人相術辞典  天童観相塾より』          【ゆ】 ・ 【よ】  ・ 【ら】

 

〔熊眼〕           (ゆうがん)。    熊睛(ゆうせい)、  熊目(ゆうもく)。    『熊目は睛円にして又た猪(ちょ)に匪(あら)ず。 徒然たる力勇は凶愚を逞しうす。 坐(座)伸久しからずして喘息は急なり。  敖氏還りて能く滅ぶるや、 也(ま)た無し』    (解説)   「熊目なるは眼睛(がんせい・目)円々(まるまる)としてはあるが、  また猪眼のやうなものではない。   又、 匪猪(ひちょ)とは睛は黒円なれども猪眼の趣とは異なると也。  匪は非と大様同じなれども、 単なるアラズの外、 悪の意又た否定・不能・不可等の意あり。  即ち男女ともガニ又のもの多く威張りたがる気風あるのみ、 その風格は極めて可等なること匪(あ)しき猪(ブタ・エノコ)同様だと也。  又た匪猪は性器劣弱不味の陰意。 熊が繋留され乍(なが)ら徒然であると、 無邪気に側に遊来したシャモなどの首を突然に掴む、 熊の方では殺すつもりもないのだが、 掴まれたシャモの方ではグウもスウもなく死ぬ、 熊の手の握力が意外に強いからである。  熊眼の人はそれに似た徒らな力勇を揮って凶意を逞しうすることが時々ある。  坐は身を屈折する、 伸は躯(体)を伸ばす、 起臥(きが)蹲居(そんきょ)といふに同じく、 それが何れも久しくは続かないのに息づかひはゼイゼイと嵐吹くやうに急にいぶく。  敖氏(ごうし)は若敖氏の略、 春秋(孔子の筆削した歴史書)にある故事、 若敖氏の子が山野に捨てられ虎の乳をのみて育ちたるに、 他日 其の傍系(ぼうけい)に、 傍系とは春秋の誤記であらう。  熊虎の状(すがた)に似たる顔面のヨコヒロがりの子が生まれた、 後、 果たしてその子の代になって、 名家若敖氏の家は滅ぶるに至った、 この委しき噺(はなし)は「相人歌賦」中に詳記してあるから参照されたい。  熊虎の状の語縁でこヽに敖氏を援用したのだが、 その敖氏の様な名家でも還って能(よ)く滅ぶるものだ、  名家なら名家ほど能く滅ぶるものだといふ。  能滅の能は熊字の火をめっしたもので、 他は女陰の象、 熊目の女子ならば子孫絶え能く滅ぶると也。  文章妙用の一」    「眼形多少の移動あり、 概して少しの凸眼(とつがん)に見ゆ、 一見愛らしき趣あり。  眼球は正視なれども下胞にタルミありて袋目(ふくろめ)に少し似たる所あり、 睛は黒瞳なるが多し」  

〔遊魂守宮〕             (ゆうこんのきゅうをまもる)。     『遊魂の宮を守るは、 定めて喪身の苦あり』  「魂は云鬼、 云(うん)は雲の略字、  乃ち雲の黒きが如き一定の濃度、 一定の形を具へぬ蒙気が命宮即ち印堂にかヽる也。  遊守の二字は動くが如く止まるが如きをいふ連詩なり、  印堂はソコに異状あれば命にかヽはる故に命宮といふ」  命宮は眉間。 別名は印堂。 そこに黒い気色がボーッと浮いて現れたら、 身を失うほどの、 どうしようもない苦労がある。  針の筵(むしろ)に座るような運命のとき。 

〔行不動身〕            (ゆくにみのどうぜざる)。   『行くに身の動ぜざるは、 財を積み寿有り』   「歩行するとき中身動揺せざるものは、  物質的に成功しまた長生きもすると也」  反対に歩くときに身体が揺れるのは貧相。  

〔夭〕           (よう)。  若死に。  大体三十歳前後までに死ぬこと。   

〔羊眼〕                (ようがん)。  羊睛、 羊目、 羊睛眼とも言う。    (評訳)   『黒淡、 微黄にして神は清からず。   瞳人は紗様却りて昏睛あり。  祖財は縦(たと)へ有りとも亨(う)くる縁なし。  晩歳も中年も又た且つ貧なり』  「黒睛は淡く白目は微黄(びこう)を帯びて、 その神は却りて清からず、 濁気ありて不潔に見ゆ。  瞳人(どうにん)ヒトミには紗様(しゃよう)ウスギヌがかヽったやうにありて、 却(かえ)りてその黒目全体が昏いかに見える。  昏(こん)とはその人の性格の昏昧なるをもいふ、  この目の人 好人物ではあるが下らぬヘボ人であり、 他人を見るの明なく、  常に人に誤(あやま)らる(騙される)。  先祖より遺された財力が縦へあっても、 それを亨けつぐ縁はない。  縦(じゅう)の字はほしいまヽにムダづかひする意もある、  無孝へでもあるからである。  よいのは少年期だけ、 学校卒業後世間に出た中年以降は貧乏し晩年もまた同様よい生活は出来ない。  又且つ貧とはスソ貧乏。  欲するも性欲を十分に遂げ得ず、  妄りに誰にでも戯るヽと也。   女は人を見るの明なき結果、 何人にでも往来すれども愛情の深きことも積るやうなこともなき也」     『羊目は黄なること多く露白の睛。  低身傍視(ていしんぼうし)すれば分明ならず。   肥えしむる莫(なか)れ後身須らく死ぬべし。  狼毒(ろうどく)あり宜しく徐くべし殺人の行』     (評訳)  「羊目の黒目は黄味が多くそして白目の方は露睛になる。  首を下げ横を向いた時は余計にその目の概観がハッキリしない。  肥ゆると死ぬから太らない様にする方がよい。  後身(ごしん)とは中年以後の身の上のこと。  羊はいつも狼に食わるヽ、  他から来る狼毒的災難は宜しく用心して、 よく除けるやうにせねばならぬ、 それは結局身を亡ぼす殺人の行為となる」     『羊目は白睛に赤きこと多し、  睫毛(せんもう・まつげ)は乱交して蒙蒙昏昧なるものに似たり、 顧視(こし)するときは却りて神気少なく、 低頭(ていとう)すれども或は痴 或は慢、  人となりは必らず賎、 太(はなは)だ肥ゆれば横死することあり』    (評訳)  「羊目なるは白睛(白眼と黒目)に赤めのことが多く、 マツ毛は沢山乱れ生えてモヤモヤし暗く見ゆる、  顧(かえり)みて横や後ろを見る時は正面を視る時よりも却(かえ)りて神気が少ない。  オジギといふわけではないが腰低く低頭する方だが、 その風は痴(ばか)のやう また驕慢なオゴリタカぶった風が見ゆる。   人品骨柄(じんぴんこつがら)は必ず賎の方でこの人肥(ふと)り過ぎる様なことがあれば、  急に横死するやうなことがあらう」   「眼球は柔和なれども清令ならず、 神は昏きやうに見ゆ、  時には帯紫黒色に感ずるものもあり。  睫毛長く又密生しムサグロしく繁茂し、 外見不潔の観あれども熟視すれば、  隠味ある鈍色(にぶいろ)の所あり。  眼球は上三白(かみさんぱく)又は上三白に近きやに、下方に又た外方に偏し白目も共に露なる傾向あり、  中には落ち零(こぼ)れんとするやの趣あるものあり、  また多くはその黒目は茶色にして黒からず、 或は黄に近く又は淡碧(たんぺき・淡い青色)に近きもあり、  黒目の境界は明快ならぬが多く、 眼球何となくオドミあり且つ涙ぐみたるやの観、 又目尻のゆるみたるが特徴。  また時には睫毛少なきものあり、  眼球類似すれば同じく羊眼とする、  印堂の辺より上瞼にかけてハレボッたく睡(ねむ)げに見ゆ、 且つ胡羊鼻(こようび)をかねたるものもあらう。  似合なれども性行は多少異なる。  概して意くぢなしにて蟲のよい考へを持つ性の人に多し。   大統賦(人相術の賦)には、  『犬羊鵝鴨は何をか算(かぞ)ふるに足らむ』 とあり、 羊眼のものは問題にならんといっている。  また銀匙歌(ぎんじか・人相術の歌)には 『靠(よ)るべきの家なきは眼睛の羊なり、 却(かへ)りて問ふ、 他人の住場を借るを』  とあり、 其の貧乏ぶりを称して居る」 

〔羊刃眼〕           (ようじんがん)。    「羊刃は羊の肉を細かく截(き)る刀。  その羊刃の形に似たる故にいふ。  属にいふ逆サ目は之に類す。  目尻にユルミあるが特徴。  神相金較剪(しんそうきんこうせん・人相術の書名)には、  『羊眼なるものは自ら縊(くびくく)れて死するを主どる』 とあり、 その他 歌賦類等に数々引用あり。  また羊刃とは人の性格の残刻苛察克明なるに喩へてもいふ、  羊刃が羊肉を細かく刻む故也。   銀匙歌(ぎんじか・人相術の歌)には、  『耳聾(じろう)と眼疾とは羊刃なるに因る、 天年折れずんば也(ま)た災あり』  とある、  この羊刃は主として其の性格の方をさしていったのであるが、 また兼ねて羊刃眼故にと考へるも宜(よろし)からう、 逆さ目の人は眼疾にもならうし、 耳聾にもなり勝ちなものである。  天年折れずんばとは、 天年を俣(ま)たず夭折することなくば、 また災があらうと也。  也(也た)は性器関係の災難なり」

〔夭相〕            (ようそう)。   若死にの相。 

〔揺頭〕              (ようとう)。     「揺頭は首をふるはすクセ」   首を上下に振る癖。  

〔陽嚢緊若茘殻〕                  (ようなうきびしくれいかくのごとし)。    『陽嚢緊しきこと茘殻の若きは、  定めて堅耐(けんたい)の兒たらむ』  「睾丸の外貌が引き緊(しま)り茘枝(れいし)の実の殻の様に見ゆる兒は、  定めて丈夫なシッカリした者に成らう。  レイシとは日本のクサレイシの事でなく、  円形の木の実、 支那南方の産、 支那料理ではライチーといふ。  レイシは漢音也。  睾丸を包む袋が引き締まって、  クルミの殻のような子供は、 丈夫な子だ。  

〔腰背豊満〕                 (ようはいほうまん)。    『腰背の豊満なるは、  衣鉢に余り餘(あま)りあり』 餘は余。   「腰背の肉付骨法タップリと豊満なるものは、 衣鉢(えはつ)とは法衣と鐵(鉄)鉢にて跡つぎに与ふるもの、 轉(転)じて跡つぎそのものをいふ、  その門人たちが餘りある位多いとなり」   背中から腰にかけて肉付きがよい僧侶は、 弟子門人が余るほどに多い。  大した人物のこと。  

〔容貌温和〕              (ようぼうおんわ)。     『容貌の温和なるは、 事を作すに襟懐(きんかい)あり洒落なり』   「容貌の温和なものは作(な)すことに余裕があり風趣うまみがある、 襟懐あり洒落なりとはこの謂(いひ)也。  酒落(しゃらく)は漢音、 北京官話(ペーチンコワンホア)ではシャラ、 徳川時代に訛伝してシャレといふ、  言語の上に風流うまみのあること、  転じて男女の化粧にもおシャレ、 シャレた、 シャレ者などいふ」   顔立ち所作雰囲気などが温和なひとのこと。  温和は温かみと和気があること。 

〔来世〕               (らいせ)。   『自ら力めて美を済す、 世見(せけん)の為にせず、  陰功は亦(ま)た作す、 来世の道果』   「自ら力(つと)めて自力で善美を完成するやうにする、  決して世見(せけん)、 乃ち見栄や外聞や世間体のために、 美事善根を仕たのでは功徳にはならないと也」   「陰功は外見に見えぬカゲの功徳も亦(ま)た作すのは、 来世の道果のためである、 決して徳を行っても報酬を予期しては成らない」  陰徳陽徳に拘らず、 これ良しと思うことを行い、 結果は全て天命に任せる生き方を言う。  

〔鸞眼〕            (らんがん)。     鸞睛(らんせい)。     『準頭は円大にして眼は微に長く。  歩は急に言辞には媚(び)ありて且つ良し。   身は貴(たっと)く君に近づき終には大用(だいよう)。  何んぞ愁へん雪衣娘(せついじょう)に似ざるを』     (評訳)  準頭にはアウムの嘴(くちばし)の円大なるに似て眼はいく分長めの方。  歩行ぶりは急として、 急はいそがしい方ではなくキッカリハッキリの意、  言葉づかひには愛嬌があり且つまた感じが良い。  且つ良しの陰意は例の通り。  身ガラは自然に貴品があり、 君王に近づき終(つい)には大いに用ひらるヽに到るであらう。 雪衣娘(せついじょう)は白アウムの略名、 白アウム(オウム)は百五十年以上も生きるとのこと、 転じて長命の意、 何んぞ愁ふるの要があらう、  長命でないことはないよと也」 

〔乱郊挿額〕             (らんこう、 そうがく)。    『乱郊挿額は、 山林に処(お)るに利あり』    「郊外部位の辺に紋脈乱れ、 又は肉に小隆起あり左右より、 額をさしはさむやうなのは、 山林に隠退して居る方がよいと也」   額の左右が凸凹や乱紋浮きスジなどで乱れている者は、 山林に隠居するのが利しい。  

〔蘭台・廷尉〕                (らんだい・ていい)。    「鼻を帝王に譬へ鼻翼は帝王を翼(たす)くる左右大臣として金甲又は蘭台廷尉の名あり」   

〔乱紋額上〕                (らんもんのがくじょうにある)。    『乱紋の額上にあるは、 男女並(とも)に弧刑あるを主どる』   額上は額の上部髪際近き辺に乱紋あるをいふ、  乱紋とは皺ともつかず細く密生する條理の相接する如きもの也、  如此(このごとき)の男女とも弧刑なり」 この相の人は孤独で運が悪い。