実地鑑定の重要さ

『実地鑑定が重要』

 

自分が人相観だから、余計に実地鑑定経験が重要であると感じるのでしょうか

 

本の勉強や講座に出て一生懸命机の勉強をすることが大事なのは百も承知の上で書いてます

 

其の上で、実地鑑定経験を積むことが特に重要であります 此れは自分の経験から書くのですが、

 

本をたくさん読んでも、実践鑑定・実地鑑定でしか見つからない事が山ほどあるからにほかならない。

 

特に躰の周りの『気』や気色・血色・神導線・画相・神気の清濁、正邪、強弱、善悪、賑やか、明るい、寂しい、暗い等の

 

無形のものの識別判断は尚更、実地鑑定経験が必要になりましょう 血色の色の意味などは幾らでも本に書いてあります。

 

青色は○○の意味・赤色は○○という意味・濛色は○○の意味・暗色は○○であるなど凡そ顔の出る血色の意味と、こういうふうに

 

判断するという具合に分かりやすく書いてあるので誰でも直ぐに分かるのだが、いざ人の顔を観て何処にどんな色が出ているのか

 

分からない、判断出来ないというのはどういうことであろうか。 これなど一番分かりやすい話しで、実地鑑定して経験を積めば

 

理解出来ましょう 南北先生が【眼で見て心でもそう思ったらそれで判断して間違いない】と言うておられます 全くその通りです。

 

自分もそう思います! 南北先生は殊の外、実地鑑定経験の多い大先生ですからうなずけます 実地鑑定家だからこそ言えることで、

 

実地鑑定をほとんどしていない者では、まず思いも付かないことですよ  特に人相術は実地鑑定で気が付くこと、実地鑑定をやって

 

やっと判ること、自分で見つけたり発見するということが多いのですから、やらないと実際のところはどうなのかが分かりません。

 

此れはロジック物ではない故、実地鑑定でしか分からないのが人相術の特徴でもあります 亦たロジック研究と理解が得意な人と、

 

感覚派の人がおりますが、人相術の特徴である『感覚で観る』というところが『頭が良く計算が得意な人』ほど苦戦するのです。

 

感覚派の占い師は『繋がります』が、頭が良く博学で計算が得意な人・ロジックが得意な人ほど『繋がりません』故に深く研究するのだと

 

思います。 一方の感覚派は『考えたら繋がらない』のです。 考えることをヤメタラ繋がるのです 其れは人相術も易も同じ事です

 

だから人相観は勉強して一度ガッチリ覚えたならあとは放って置くのですね 相を観たら勝手に神異賦の言葉も出ますよ。 八相も三質も

 

八面も何もみんな普段は頭に無くても相を観ればスッと出ます 其れは無形の気色・血色・神動線・画相も全て同じことです 身体の周りの

 

気を観たり、神気の賑やか・寂しい、暗い・明るい、清濁・正邪・強弱・善悪の識別判断はロジックではないのだから、感覚を磨き人相術判断に

 

適した感覚に自分で調整する必要が有るのですよ 此れには実地鑑定でやって行く外ありません 人相術判断には集中力も大事です。

 

南北先生は一度鑑定が始まれば集中して音なども気にならないと言うておられます 自分も荻窪での街頭鑑定で知らない内に訓練になって

 

いたと今は思います。 街頭ですから直ぐそこは青梅街道で、車・トラック・バイクなどの騒音に始まり、行く人の眼やバカ騒ぎする大声など

 

夏は暑く冬は1℃ 2℃で寒いですよ でも一旦鑑定が始まれば音も人の目も何も関係ありません! 聞こえているのですが気になりません!

 

街頭鑑定は環境は決して良くはないですが、集中力を養うにはうってつけの鑑定環境でしたね おまけに必要以上に暗い場所ですから

 

気色・血色・神導線・画相・が観にくいのですよ そこで観ようとするのですから鍛えられました 今やっている吉祥寺占い館サンロード商店街の

 

『たいゆう堂』なんか照明があるし、雨風しのげてやり易いのなんのってこれ以上ないですよ という事で、実地鑑定は本には書いていない

 

ことが幾らでも転がってますから、やらないといけません 腕が上がらないのです 腕が上がらないと食えません! 実力が無いと食えません

 

食えている人は食えるだけの実力が有る人です 食えない人は食えるだけの実力に達していないだけのことです。 しかも此処で云う実力とは

 

人間的魅力・器量有る器の大きさと運の良さと鑑定の実力が有るという総合的な実力を言っています。実地鑑定は此処に連れて行ってくれる入口ですから、

 

やるなら腹決めてやらんとトドキマセン  何事にもゲートキーパーが居て、阿と吽の両方で、一方は来い、行け行けと手招きをし、

 

一方は待て、来るな、帰れ帰れと手で止めています 其の道の門をくぐるも良し、尻尾を巻いて引き返すも良し あなたならどうしますか?

 

因みに、太塚覚龍は 堂々と門をくぐりました 自分は吞舟之魚支流に泳がずで行く