『神と気』シンキのこと

〈神・気〉人相術鑑定を行うには、此の神気を理解しなければならない 今回は神気について解説しようと思う。 確かに、間違いではないのだが、神気イコール雰囲気とポンと簡単に言ってはいけないのである。簡単に神気は雰囲気だと言っていいのは、名人達人の人相見だけ。分かり易く解説していこう 先ず、ここから話す必要がある 神も気もその人全体の『生命力』なのである。そして、其の神(生命力)は眼・顔・身体に現れます 眼に現れた生命力の事を『眼神・ガンシン』といい、顔に現れた生命力の事を『面神・メンシン』といい、そして身体に現れた生命力の事を『体神・タイシン』といっています。主として、その人の生命力は眼に現れる。眼神です 神を観る、(生命力)を観るのは眼神である。つまり、その人の神・生命力の清濁・正邪・強弱・善悪、そして、器の大きい小さいを生命力の現れである、眼光で看るわけです。 次に神気の『気』とは何かを説明します 此処でいう気とは、神と同じく生命力で有る事に変わりはありません。神と気が違うのは、神は眼光、眼に現れた生命力であるのに対し、気は身体の外に現れた気『生命力』の事です。此の『外に現れた生命力』の事を(雰囲気)と言っているわけですね。つまり、神も気もその人の生命力であり、神は眼に現れた生命力であり、気は表に現れた生命力の事を雰囲気と云っとるのです。故に、神気は雰囲気だというのは、神気はその人の生命力だと理解した上でいうのならば問題無いのだが、聞きかじって単に、神気は雰囲気だからとポンと言ってしまうのはオカシな話なのである。 神気とは何かと言えば『その人の生命力』というのが正しい。人相鑑定する際に、神気を観るというのは、眼光でその人の生命力の清濁・正邪・強弱・善悪・器の大小を観、表に現れた生命力(雰囲気)を観て判断しているということです。つまり、眼神・面神・体神の身体全体と、眼付き・眼光、全身から現れている生命力の雰囲気を判断しているのです。ですから、神気イコール雰囲気と言ってしまう、雰囲気の方を主体と思っている人が多いということです。これは間違いで、生命力が本体で、雰囲気が従であることを知らねばいけない。本体である生命力が身体の外に現れたものが雰囲気であるからだ。では、雰囲気の正体は何だといえば、生命力である。 此の生命力の種類とでも言えばよいのか、清濁・正邪・強弱・善悪、器の大きさ・小ささ、この代表的な質の何れかの質の生命力が身体の外に現れた『気』こそが雰囲気なのである。勿論、眼神の眼つきも雰囲気を作っている。 もう一つ、言っておくとする。神気イコール雰囲気という感覚と理解だと、人相術の古典・神異賦が解らなくなる。必ず、神(生命力)と気(雰囲気)を分けて別個であるという認識が必要なのである。要するに、神(生命力)が枯れているのは貧窮の漢、など生命力について書いているものがほとんどで、気(雰囲気)が濁っているものは○○と直接雰囲気の事を書いているものはあまりないからだ。 神異賦全部は無理なので一部だけ、神(生命力)について書いているものを挙げておく。 『気濁神枯、必是貧窮之漢』これは気が濁って、神(生命力)が枯れている人は貧窮の漢だといっておるのです。『形清神濁、不久貧窮』骨格が清くても、神・生命力が濁ってるは久しからず困窮するといっとります。『形神不整、貧夭両中』骨格も神・生命力も整わないのは、貧乏と若死に二つだといっとります。『神若崢嶸凶豪悪死』神・生命力が険しい者は死に際が良くないのです。『神緊眼円、為人急燥』神・生命力が険しく丸い目は急にして騒がしいのです。『骨聳神清、定主威権忠節』骨格が厳しく、立派で神・生命力の清いは威権が有って、忠節の有る一角の人物だというております。『神短無光、早赴幽冥之客』神・生命力が短く弱くて眼にも生命力が無い人は若死にします。『両目神無、縦鼻梁高而齢亦促』両目に神・生命力無いのは縦、鼻梁が高くても近く逝きます。『神気澄清、利名両得』神・生命力と気・雰囲気ともに清いのは、利と名誉の二つともえます。これは神・生命力と気・雰囲気のこと分けて両方書いてますね。『色慘神枯、兼何由而発跡』色慘じ、神・生命力枯れるは兼ねてより何ぞ発跡せん。立身出世など到底無理だよというてます。『形異神殊、此輩遠超雲路』骨格も神・生命力も普通ではない立派な者は、遥か遠くという表現が合うほどの出世をします。 と、此の様に、ほとんどが神・生命力の事がずらりあるのですね。このように、神・生命力が雰囲気の正体であり、人相術は神・生命力がどうかというのを、重視します。雰囲気を観るというのは、とどのつまり、生命力を観るということです。ま、生命力が有っての雰囲気ですからね。 例えば、立派なお寺が有り、立派な建物が有って初めて、雰囲気も立派だね。となる訳で、本体からくるものが雰囲気で、雰囲気が本体ではないということです。本体は神・生命力の方で雰囲気は神・生命力が表に現れたものである。