人相術は感性必要

『感性を磨きなさい』

 

人相術判断には感性が必要です。 というのは、骨格なら眼に見える物ですから問題ありません

 

問題は此処から先の話しで例えば眼相・眼の奥をジーッと観て怒りがあるとか寂しさが有るとか、

 

八面の遊女面をみては実際の骨格の相を観て襟元が寂しく観える、髪の生え際が寂しいなどや

 

パッと人を観て寂しい相をしとるなど、人相術は此れを観る眼力が必要なのである。 

 

此れは本人は全く寂しくないし、そういった出来事もありません、特に問題ないですという時も

 

人相観は見抜く感性と眼力があるのです。 どういうことかと言いますと、例えば先祖供養を殆どしてない、

 

法要も殆ど行ったことが無い、お墓が何処に有るのかさえ知らない、などは自分自身が其の家の一族の一員である

 

という意識が薄い故に自分と先祖の方々と繋がり薄く、殆ど分断されて自分独りポツンと居る故に神気暗く寂しいのである。

 

先祖供養、法事、お墓に行き洗って線香あげて花を供え、命を継いできて頂いたおかげで自分が此処に居ます

 

有難う御座いますと感謝して人の役に立つ生き方をします 大丈夫ですしっかり頑張っていきます と言って先祖の

 

皆さんに感謝して供養し安心させることで、自分の後ろに先祖の方々がわんさかたくさん一緒に居られる故に

 

其の神気が明るくて賑やかなんですよ。 そうしていろいろとサポートして下さるので事もスムーズに運びます

 

そういった意味に於いて、其の人に何か寂しい出来事が有ったから寂しく見えるなどということではないのです。

 

人相観はこういうところも見抜くのですよ。 寂しいことが有ったからその通り寂しく見えるというのでは

 

そんなの当たり前だろ 何を言っとるんだという話しです 笑