【手の相も人相も同じく】
手の相も人相と同じ様に観ていきます。 手相も人相の一部であるというのが私の立ち位置です
別々の占術ということでは無く、人相判断の位置部位ですから当然人相を観るのと同じに観るというわけですね。
人相術の古典 神異賦を見てみればお分かりいただけるでしょう 『掌の紅なること血の若きは、閑にして且つ銭あり』
手の色が真っ赤な紅色の人は裕福で不自由がないや『手の軟なること綿の如きは、富て也た禄多し』手が綿の様に柔らかい人も暮らし向きに
不自由がありません 肉付き良くぼってりしとるのはいいのですが色が悪いのはいけませんからね此処は注意です
亦た、『苦楽は手足に観る』と言って苦労する運命か楽に暮らす相の運命かは手の相や足の相に現れているということですね。
身体の割に大き過ぎたり小さ過ぎたり、手の骨格・形とか掌の線が乱雑であるや手が肉付き無く薄い手、堅い手、潤いが無い、
濁っている手などパッと観て苦労する手だなあとか、ゆったりとして余裕のある手の相だなあとかは直ぐに感じるものです。
手も人相と同じく観るのですから発展発達相か苦労多い相か観ていく訳ですね裕福な手の相であるとか、寂しい手相だとか
賑やかな相とか苦労多い運命の手の相であるとかですね。 骨格は釣り合いが取れて相に力が有るのを良しとします
先づ発達相か破敗相かの分かれ道は三停平等と五岳朝帰であるかどうかですから、手の相も同じく判断するのです
手も同じですよ 『富者自然に体厚し』ですからボッテリと肉付き良くゆったりして厚いのが良いのです 其の反対に
薄くて堅い、その上色も悪いというのは観るからに苦労しそうなてだなあと感じる訳です もちろん線や色・指・爪・指紋・他
判断するのに観る所は沢山ありますが、最初から細かい線を観てどうのではなく、人相と同じく先づ大きく運命を掴み絞り込んで
観ていくというのがやり方です。 人相にも手相にも同じく小人形を配置するなど、手相も人相と同じく観ていくということです
当然、 手相と人相を連携して鑑定判断する訳ですから 私は手相と人相を別々に分けて観ることはしません。