神異賦292脩道を作す者・僧侶たる人

『脩道を作す者、貌清ければ栄あるべし』 修道者は、人相が清ければ栄えます。 此処では行者やお坊さんの見方になります 修験者や僧侶の話しですが、我々人相観や易者などの隠者も此れに準じて判断します。 修道を作すとは、一般的に修験道の行者さんのことですが、お坊さんたちの様に心を磨く専門の人達全てを含みます 行者さんは、貌(カタチ・人相)が清いと栄えが有ると言うておるのです。 栄えとは、心持ちも立派で出世もするという意味です 行者さん・お坊さんはパッと観た時、サッパリ スッキリと清らかな相でないといけません。 神気が濁っていたり、一見して神が清くても眼光(生命力)が弱いや、邪光が有る相では駄目です。 眼光が弱いというのは、神が弱い乃ち、生命力が弱いという事ですから、いくら清くても物事をやり遂げる力が有りません 

『僧侶たる人、頭円なれば必ず貴たり』 僧侶は、頭が円ければ貴くなる。 頭が円いお坊さんは、必ず貴いと言うておるのです 円い(マドカ)とは、頭全体の形が丸い事はもちの論ですが、疵や瘤などの障りが無くて綺麗なことも含んでいます。 円満という意味が有りますね いくら頭の形が丸くても瘤やイボが多く有ったり、疵だらけでは丸いとか円満とは言えません。 貴いとは、地位が高いと言うだけではなく、人として貴い人物ということです。 単に、地位が高いだけなら貴とは言いません 貴の人とか、貴相の人物は貴いのです 相対した時、自然に頭が下がります