『易断』

『易断』

 

 自分が噬前の審事を重要とするのは、 前回の過去・現在・未来の何れの表示であるか判断することは勿論ですが、 『糊付けの易』や『新奇好みの占』ではいけないと日頃から考えているか

 

らに他ならない。  同じ病占を行い、同じ卦を得、同じ変を得た場合どうする   或は前に断じたことがバカ中りしたり此れを得たらこう占断すれば中る・こういうことだ などとやっては

 

いけないのである。同卦異占の例もあり  片方は助からぬと判断し(的中)、 もう片方は平癒に至ると断じ的中している。   此の占断の違いは何か   云うまでもないがしっかりと其

 

の病人の現実の症状に対する観察であります  この様な、噬前の審事や観察無しにパッとやってはいけないし、 此の卦や爻を得たからこうだと固定した占断というのは全く活きた占断とは

 

言えぬもので死物となる故、まるっきり外すこととなる。   亦た糊付けを嫌い、無理にというか何か違うことをと、新奇な妙断を言って現実・実際を離れた空理なおかしなことを云っても

 

いかんのですね。   つまり、この様な糊付け占断や新奇好みの占になっては駄目なのです  故に此の中間で善処するという絶妙な断が宜しいのです。   

 

幸いなことに自分は人相術を専門とする人相観故、 人の観察にはぬかりがないところである   亦た、人相で判断したことを易で間違いがないか確認しているということも有るわけです。

 

 例えば気血色を観て引っ越しは何月が良いか判断したら、易を立て易でも同じ月が良いという卦(か)を得れば確認出来るという意味だ。  

 

現実の実地鑑定では当然、こういう使い方もしている