人相術辞典 【く】

『人相術辞典 天童観相塾より』  

 【く】 

 

〔孔雀眼〕 くじゃくがん。   『眼には波の明らかなるあり、  睛は黒く光る。  青多く白少なければ兇強なるを悪(にく)む。  素廉(それん)清潔、 乍(たちま)ち煖なるを嫌ふ。  始末に興隆あり姓字揚(あが)らん』  (評訳) 眼瞼(まぶた)に波線が清く明亮(めいりょう)にあり、 黒睛(こくせい・虹彩)は黒く光ることが目につく。  青多く白少の青は睛のことで黒目、  白は白目、  乃ち黒目がちの眼で性質としては、 押の太い心臓式なことは一切憎む。  素廉清潔とは性がは質素で廉潔、 時には潔癖すぎることなどもある。 乍ちなる煖かさを嫌ふとは、孔雀の南国的な本性を引用したもので、 場所そのまゝが暖かなのは好い、  急に人為的な煖かさを感ずるを嫌う、  用字暖煖の差を考えるを要す。  すなわち理由なき突然の贈りもの、 又は頓(にわ)かに来る財福などを好まず、  女は男の卒然たる要求を拒むこともある。  始末は初年にも晩年にもの意味で、 一生涯の内に出世上達興隆して、 姓字が揚がり名誉をかヾやかすに至るだろうとのこと。  また始末の意味は、 始めあり終わりあり物事取り締りありて有終の美を全うする人であろうとの付加兼併あり

〔口〕 くち。  (解説) 口は水星、 脾胃の竅(きょう)、  大体は食欲色情のことを主どる、  その他嗜好に関する財物の得喪(とくそう)、  子孫の強弱、  性行の変化等は人中(にんちゅう・鼻の下の縦溝)を併(あわ)せ考えること、  また薬部(やくぶ)の名があるのは当然平凡である

〔口匾平似鮎魚〕 くちへんぺいなることてんぎょににる。   『口匾平なること鮎魚(てんぎょ)に似たるは、 終には須らく困乏せん』  (評訳) 鮎魚は字は同じなれども、  日本のアユのことにはあらず、   口偏平にして下唇の全面的に食み出し、  上唇を咬むもの鯰魚のこと也。  それは上長に反抗すれども性遅鈍にして緩慢、  欲張りなれども終には困乏の内に生を送る也  鯰(なまず)。  

〔俽唇〕 くちびるあがる。  唇が上に釣られたように上がること。  自然に露歯(ろし)となる。  貧乏、 剣難の相。 

〔唇薄口尖〕  くちびるうすくくちとがる。  『唇薄く口の尖るは、 好んで是非を説きて了るなし』  (評訳) 他の陰口をきゝ風評することを好む   唇が薄くて唇を突き出たように尖らせている者は、 好んで人の是非や陰口を言って嫌われる。 

〔唇似紅蓮〕 くちびるのぐれんににたる。  『唇の紅蓮に似たるは、衣食豊足なり』  (評訳) 紅蓮(ぐれん)に似たとは、  唇の色の紅(あか)いことの形容、  ただ紅きのみにはあらず、 紅蓮の花弁は紅くて縦に細き線條が並列している、  その如くに唇に細き皺紋がある、  これは衣食豊かに足るということ。  近時の娘の口紅の如く紅きばかりで、 紅椿の花弁の如くに唇ピンと張りきり光るのは、  多淫のゴケ相で貧乏相なり

〔唇縮神癡〕 くちびるちぢみしんおろか。  『唇縮み神の癡(おろか)なるは、 蔫(いずく)んぞ三旬の厄を保せん』  (評訳) 唇が縮むとは口が小さく見えるほど、  唇が収縮していること、  おチョボ口も魚口(ぎょこう)もその内に入る。  それでおまけに顔付き癡(ばか)の様であれば、蔫(いずく)んぞ、  どうして三十までの厄難を保つことが出来よう、  多分三十までに死ぬだろう、  或は死なずとも死に相当する災厄にはかゝるのである。  充分の修徳反省に心掛ければ減半することもあるだらう   おチョボくちで眼がボーッとしている者は、  若死にの相で発達はない。  本能のままに生きるものが多く、 求道とは無縁のものが多い。

〔唇不蓋歯〕 くちびるのはをおゝはざる。  『唇の歯を蓋はざるは、 事無くして嫌ひを招く』  (評訳) その形は種々あり、 例へば出歯で、 或は唇短かく、 又は俽唇(きんしん・唇が巻き上がる)にて常に歯齦(はぐき)を露わし勝ちのものなどをいう。  事なくしてとは、 さほどの事もないのに人の是非を語り口禍を招くこと

〔頸白過面〕  くびのしろきことめんにすぐる。  『頸の白きこと面に過ぐるは、 衣食豊盈なり』  (評訳) 頸の色が面色に比較して白いのをいう、  この者は衣食必ず豊盈なり、  男女に係らず頸の黒いものは貧蔞(ひんろう)なり、  明治時代の女の化粧法に、  えり白粉(おしろい)というのがある、  衣食豊盈の運にあやかるもので、  今の若き女は顔のみ念入りにして、  首筋の黒いものがあるが貧乏の卵子なり

〔苦楽観乎手足〕 くらくはてあしにみる。  苦労したか、 苦労するかは手足に現れている。  手足の上品な者は身を楽に暮らし、  そうでない者は身体を使う暮らしをする。 

〔黒掩太陽〕 くろありたいようをおおう。  『黒あり太陽を掩(おお)えば、  盧医(ろい)も救ふ莫(な)し』  (評訳) 黒気が太陽を掩うようならば、  太陽は本来は左目のことなのだが、(この場合は)左目ばかりとは限らず、  左右両方でも或は右目だけでも、  その上下の眼胞に黒い色が掩ふようなら、   掩うとは黒雲が太陽の面を掩いかぶさる様にと、  太陽の文字に対していう。  盧医といふ単独の名なし、  或は扁鵲(へんじゃく)の一時的仮名であるか。  扁鵲は居る所によりて名をかえたという   黒い気色が両眼を覆うのは死相の一つ。  昔の中国の盧医という名医でも救えない。  

〔黒若湿灰〕 くろきいろしっかいのごとき。  『黒きいろ湿灰の若き(ごと)きは、 終に寿短なるべし』  (評訳) 湿灰はシメリ灰のこと、  ツヤなきドス黒さの形容、  これも亦(ま)た天寿の短かく迫ることを示すものである   黒く湿った色が顔全体に現れたらもうすぐ死ぬだろう、   死が迫っている相。