神異賦」239形は清くとも神の濁れる相と人小なりとも、声の洪いなる相

『形は清くとも神の濁れるは、久しからずして貧窮す』 見かけは整っていて綺麗でも、神が濁っている人は遠からずして貧窮します。 此処で言う形とは、骨格や顔の色を言っています 一見して美男美女で顔色も良い人ですね パッと見、綺麗で整っていても神が濁っていては駄目なんです。 神ですが、此れは其の人全体の生命力で、眼に現れたものを眼神・顔に現れたものを面神・体に現れたものを体神というのです。 此処で言っているのは、主として眼神の事を指します 神が濁っていると言いますのは、眼光がボンヤリや、やたら力んでいたりしていてしっかりしていないという意味です。 濁りは顔の色や面神・体神にも現れ、身体全体の雰囲気にも現れるのです 雰囲気とは、眼神・面神・体神と眼付き及び視瞻と佇まいの全体から来る神気の事を雰囲気と言っておるのです。 気濁り神枯るゝは、必ず是れ貧窮の漢の見方と同じですね 此の人は観かけがいくら良くても発展・発達しません。出世や発展どころか、結局は貧窮するぞと言っておるのです 此の相の人は多いです ちょっと観が良くて、ブラブラ遊んでいる様なのは皆な此の相である 人相観はこんなの直ぐ分かるわい

『人小なりとも、声の洪いなるは、定めて須らく超越すべし』 体は小柄でも、声が大きい人は、決まって超越します。 小柄な人でも声が大きいと超越すると言うておるのです 声の大いなるとは、声が腹から出て大きいのです 洪は洪水の洪で甚だ大きいの意 此の声は国会議員に多いですね 人が居ようが居まいが、内容に関係無く辺りを祓う様に何時でも声が大きいのですね 超越するとは、抜きんでる意で、此の相の人は抜群の大出世すると言うておるのです