『目清く眉の秀でたるは、定めて聡俊の児たらん』 眼が清くて、眉の美しい人は賢い人である。先ず、目が清いという事ですが、神・気は生命力のことで、清濁・正邪・強弱・善悪などがありまして、これらの生命力・神気は眼に現れるということを知っておくべきでしょう これを踏まえて読んで下さいね。 目が清いとは、生命力である神も気も清い人のことです また、眼光に力が有る目です 力無く神気弱い生命力が無い目では賢い人の相とは言えません。 秀眉というのは、湾曲して眼よりも長く濃過ぎず、薄すぎず、毛も太過ぎずふっさりした綺麗な眉の事をいいます この様な綺麗な眉と、力の有る眼光の眼の相の人は決まって賢い者であるという事です
『気濁り神枯るゝは、必ず是れ貧窮の漢』 気と神は油と灯りの関係です。 気も神もその人全体の生命力です 生命力にも清濁・正邪・明暗・強弱・善悪が有りまして、一番眼に現れます。此れを眼神といっておる訳ですね 顔に現れた生命力を面神、体に現れた生命力を体神といいます。 何れにしても、眼神、面神、体神は眼・顔・体に現れた生命力であり、眼つき、体つきの全身を観た時の佇まいを雰囲気と言ってる訳です。 勿論、生命力にも清濁・正邪・強弱・善悪があり、眼つきとそれによっての神気であり、雰囲気という事である。 気濁り神枯れるといいますのは、気が濁っていて、生命力がもう枯れているという事ですから、是れ必ず貧窮の漢というのはやる気も無く、希望も無く、人生諦めた様な人ですから当然貧乏です。 自堕落な生活をしておりますと、顔が浮腫み、色も気も濁って赤黒い汚い色になってきます この様なのを気が濁るといいます。 気が濁っていて、神・生命力弱く枯れているのですから良いはずがありません その佇まいも濁っていて汚らしい相となります。 眼神に力が無い・落ち着かない・眼が据わる・諦めた眼などの眼相は皆、神の枯れた相になります