神異賦295重頤にして碧眼の僧と額広く眉の秀でたる相のこと

『重頤にして碧眼なるは、当に貴高の僧たるべし』 重頤碧眼の僧は、抜きん出て立派です。 重頤ジュウイは、ゆったりとした二重顎のことだ 碧眼ヘキゲンとは、眼の睛が青黒い相のことを言います。 此の碧眼と、二重顎の僧は、当に貴い立派な相だと言っておるのです 二重顎と言っても、先ず、顎の相が良くて、その上でゆったりした二重顎でないといけませんよ。 今回言っておる相は、顎一つ取っても円満な福相が観て取れます その上、睛が青みがかっていて青黒い相だという事です 当然、街頭に居ますと来るお客さんはほとんど日本人ですから普通、睛は茶色なのですが、時々は睛が青黒い人も来ます。 睛が青いというのは、其れだけでも聡明さを現しています 文章を書く才も有りましょう 当に貴い立派な僧です

『額広く眉の秀でたるは、文章ある道士なり』 額が広く綺麗で眉の秀でた僧は、文筆の才が有る道士である。 額が広くて生え際が綺麗で疵など有りません 広くてスッキリした額であります その上、眉も綺麗な秀眉です 長くて、濃すぎず薄過ぎず、眉間も広さがあって見た目に『秀でた眉』だ。  此の人は、学識がある立派なお坊さんだと言っておるのです 人相術では、額は知識の倉と言って、其の広狭と美醜により学識の有る無しを見分けます。 ですが、その前に観なければいけないのは、眼の相です。 眼光弱くボーッとしていたりではいけませんよ 何事も必ず、眼の相を観て判断せねばなりません。 眼相とは、神・眼の相・眼の形・色・視瞻(眼遣い)・眼光・は必ずしっかり観なくては駄目です 人相観は、眼を観ただけで人柄は勿論のこと、一代の運命(成功するかしないか)と、当面の運命(運命の急変・死相・災難相)まで一瞬にして見抜きます。 其れだけ眼の相は重要なのですね。 人相術は眼を観て判断すると言っても過言では有りません 此処で言う文章あるとは、読み書きが達者という意味だけでは無く、知識が有って賢いという意味である。 道士とは、僧侶のことです