神異賦297形貌の偏促なる相と声骨の澄清なる相

『形貌の偏促なるは、庸俗の徒なり』 人相骨格が偏促な人は、発達しません。 お坊さんでも、顔や体つきに歪んでいたり偏っていたり、凸凹や窮屈さが有る人は、俗人で凡庸だと言っておるのです。 とても僧侶の相ではないということですね お坊さんもそれぞれの相をしていて、皆な良い相という訳ではありません。 世の中には泥棒をしたり、不倫をしたりして、俗人以上に悪い事をして、俗人以上に悩んで迷っているお坊さんもいるのですから。 やはり人相が良くないと駄目です 昔むかしのことですが、その時付き合っていた彼女の母親の再婚相手が酒乱のお坊さんで酔っては、彼女のお母さんを殴って暴れていましたね。 どちらかと言いますと、神道の人は清く相がサッパリしとりますが、お坊さんの方は悩み、迷い、濁り有る人がけっこう居る様に思います 勿論、立派なお坊さんもたくさん居られますが。 相が偏促な人は人柄も運命も偏促です 整ってスッキリしとる相の人は、運命も整って順調です。 当然、人柄もスッキリしています  人は見たままの運命であり、見たままの性分です 見たままの問題が有り、見たままの結果があるのです 人は見かけによります よく覚えておいてください 『人は見かけによる』んです!

『声骨の澄清なるは、富貴の輩なり』 声が澄んで骨格が清い人は、富貴の人です。 声骨セイコツの澄清チョウセイとは、声と骨格が清くて澄んでいることです 割れたりかすれたりしない声で、濁りの無い澄んで通る声の人ですね。 声骨澄清ですから、腹から出る声で、骨格・体つきも整って清い人という事です 此の人は、富貴の輩だと言っておるのです。 お坊さんであれば、相当な出世をする相です こういう相は遠く雲路を超える程の出世をします 大概、此の相の人は神も清いのですから