『気色 血色 神導線 画相のはなし』
今回は画相のことを書こう 先づ、 亀田先生の量亀流 透視観相鑑本文の一部を紹介したい。 神通力といい、 画相といい、 みなこれ近世、 称えらるるところ
の人間の第六感を有為に働かし得て、 容易になし得るもので、 神秘の境地と言うも、 万人のよくなし得るところであると信ずるのである。
強固なる自信を内在するを第一の条件とする。 その次に精神統一の錬磨であるが、 これは静坐、 坐禅、 あるいは神仏等をその対象として信仰するの修行等、 その方法も数ある
が、 最も近代人に適し、 そして一番簡易なる途は、 まず、 無念放心の状態より入り、 次に無念無想の境地に進むのが、 容易なる方法である。 何人も偉大なる自然美に接す
るのとき、 必ずそこに、 小我の存在を忘れ得るものである。 これ、 すなわち無心の状態である。 (亀田先生 透視観相鑑 本文より)
これは南北先生の無相の相に通じますね。 画相が見えない・見られないと言って諦めた人を何人も見て来ました なぜ自分が見えるのか(自分のことは分析しています)考えて
みる。 今までを振り返ってみて思い当たることや当て嵌まることは二つだ 自分は信仰を持っており、 本堂に入れて頂いて観音経や真言を唱え礼拝するのだが毎回 約一時間二
十分くらい集中することを続けていたことと、 街頭観相運命鑑定は暑さ寒さに耐え負けぬ集中力、 道行く人たちの声、 視線、 騒音、 トラック、 乗用車、 バイク、 道路工事騒音
、 そして街頭照明が暗くて気色・血色・神動線・画相がとにかく見にくい場所なのである。 など、 およそ人相鑑定の邪魔になる環境がバッチリ揃った街頭故、 人一倍集中力を発揮
せねば人相術鑑定が出来ないである 此の環境で意地でも画相観る! 絶対見てやるなどとやってるうちに自然と集中力が鍛えられたのだと思う。 其の内にグッと集中力だけ残して
身体の力を脱力して身体は楽に、意識の集中力だけ残すことに自然となりました 当然 小我など忘れてます 頭の中は何も莫いときにパッと言ったことが的中なのです この前、富山
で人相術講座をやっていた時も此の状態になりましたね。 其の場に居た受講生の皆さんは思い出すと思いますが、 受講生のひとりを観たときに『家ふたつある』と言ったときのことです
あの瞬間がそうです。 画相も強固な意志で観るのです もうひとつは、 画相には幾つか種類があるということを知らねばなりません!
それはおよそ四種類。 ①ただちに看取し得るもの ②霊的のもの ③何らかの必要上連絡する、①と②が合体して併せて表れるもの ④鑑定せんとする事情を詳らかにするため表れ
るもの である。 ①はパッと観て直ぐ見えるヤツだ 要は画相が見えないというのは この①が探せないか見つからないということだろう 自分に至っては、 パッと観
て画相が見当たらなければ(大抵、画相有ります) 『画相を呼び出す』 ことをします。 此の話しはまたの機会にしておきましょう! 皆さんも画相の研究してみてくださいね
画相は誰でも見えるものです ただ、 早い段階で見えるか、見えるようになるまでに何年もかかるかという事だけで遅かれ早かれ誰でも見えるものなのです! 諦めたらダメですよ