人相術辞典【お】・【か】

『人相術辞典・天童観相塾より』

【お】 

〔鴨眼〕おうがん。 アヒル、ガチョウの目。 鴨目おうもく。 鵝鴨眼(がおうがん)ともいふ、鵝眼に似た所もあるがその少し小づくりなもので、何となく賎しさがあり濁気がぬけない。 アヒル・ガチョウの目であり鵝目(がもく) 鴨目(おうもく)などといふ。 男は小人で一代碌々斗肖の輩、女は子供ばかり生んで教育も出来ず、一生夫の厄介者になり夫の出世を妨げ、地上から立ち上がることが出来ないやうに成らせる。 目の性はよいが眼形はツブラなばかり、光彩に乏しくカラ引き立たない

【か】

〔蟹眼〕かいがん。 蟹目かいもく・かにめ。  蟹目の睛は露にして又た頑遇(がんぐう)。 生平の賦性は江湖(こうこ)を喜ぶ。 児ありとも親養を供するを得ず。 問ふを止めよ、班衣(はんい)の有りや無しやを (訳)蟹目(かにめ)の睛は露出して眼肉の動きがギコチなく、瞬目充分佳(か)ならず。 このような人は男女とも性器過大なるのみにて不味(ふみ)であらう。 又た頑遇は両様にかけていふ。 生平は平生に同じ、普段あり来たりの天賦の性として糊口(ここう・世渡り)を好む、糊口はミズウミは勿論、蟹だから水を好むのだが、糊口はその形容から広い世間のことにいふ、カニメの人は広い世間にフラフラと世渡りするのが好きな性(しょう)で、コスモポリタン的傾向が十分にある。  児は有るだろうが、その児は自らの力で養ふやうなことはなく、人まかせにする貌(かたち)があり、また児は兎に角、自らの親を面倒みることなどはないだろうとなり。 班衣とは修養反省向上心などは少しも無い、また自己を飾る心、オシャレ気、人のよく見せようとする心がけなどない、ソレはきくだけヤボだとのこと  眼形は一定せざれども概して上瞼の外方に向ふ所に重点を置く、カニの目に喩えて其の趣あるにいふ。  眼球が必ず外方に片よる傾向あるのは、蝦眼(かがん・えびめ)類似ではあるがソレよりも突出形は甚だしく見ゆる、最も転動するときは殊に多い 転動は目玉を動かすこと  

〔海口〕かいこう。 大きな口を海に譬える。 口を大海(たいかい)とも言う。 形よく大きな口は男には吉、女は凶。 男面の一つの特徴で職業婦にはあながち凶とは言えない。

〔華蓋〕かがい。 眉肩(びけん)のこと。 眉尻の角。 毛の下がる所。

〔蝦眼〕かがん。 蝦目(かもく)。 蝦目(えびめ)と覚えると覚え易い  蝦目なるは操心(そうしん)すれども貌は卓然(たくぜん)たり。 英風(えいふう)あり艇々(ていてい)として自ら前に当る。 屯邅(ちゅんてん)するは火の歳、水には志を得べし。 晩末には栄ありと雖(いえど)も寿は延(えん)ならず (訳)蝦目の人は操心するやうなことがあっても、外観上の貌付(かおつき)などは何事もないようだ、とのこと。 操心は操縦の心で、心中にカレコレとヤリクリをおもうこと、従って心は燥(あせ)る操心は即ち燥心。 卓然は高く標致(ひょうち)し、すぐれたる様子、余裕ある意。 英風(えいふう)は男前よく立派やかなる姿勢であり、艇々は艇身、身を投げ出して自から事に当る、前はスゝム気風、まぬけ気前である。 屯邅はまごまごするのは火の歳、丙丁午未の歳で、その年は不運だが、水乃ち壬癸子丑の歳には得意のことはあらう。 晩年末主の頃には栄達することはあらう、だが程なく死ぬるやうなことがあらう。 寿は延ならずとは、(命が)長いことはないとなり  眼裂の形は尻下がり尻上がり水平いろいろあるが、眼球いづれも外方に片よる、所謂(いわゆる)外斜視も此の内に属する。 エビの目なり。 眼球やゝ食み出す様に見え、下眼瞼は、上眼瞼に比して押し出たる観がある、睛は黒目なるが多く、やゝ正視に近きものもあるが、どうしても少し凸出気味あるは免れない。 物を見るときまた目づかひするとき、上眼瞼の眼尾に近き方円形に緊張味出づるが特徴

〔鵝眼〕ががん。 鵝目(がもく)とも言う。 数波紋秀でゝは天倉を射る、物を視ること分明に、神は更に長し。 白少なく黒(こく・黒目)多きは心また善し。 綿々たる福禄は老いて安祥  (評訳)数本の波紋が長く秀でて天倉(てんそう)の辺までも及ぶ、波紋といふのは上瞼の沿線にある二皮目(ふたかわめ)の皺襞(すうへき)を波(は)といい、それに準ずる文様をなすもの、それを波紋という、ソレが数本長くあって上方に向ふ傾きがある。 従来の百三十部位では天倉は眼尾の外、而も下目の方に書いてある、天倉は眉肩(ぺけん・びけん)外といふのが定説、従来の部位図は明(みん)以後の俗書に誤られたものであろう。 秀づるとは日出(ひい)づるで下から上へ向ふ趨勢(すうせい)をいったものである。 物を見分ける力が明瞭で、外見上黒白(白目と黒目)は分明、分明の文字は両様かけていふ。 神(しん)は眼の光線、それが長く感ずるようにある。 白黒は眼睛と目睛の比較で、大抵黒目がちのものである。 そしてそれは心(しん)の善いものである。 心とは乃ち存心、心の動き方、在り方なると同時に、心臓そのものゝ丈夫さをもいうのである。 鵝眼は黒目がち眼が常体なものなんだが、その時は心が丈夫ではあるが、もしも白(はく)が著しく外見に目に付くやうな時は、心に故障があり、また何か悪心が萌(きざ)したと考えてよからう。  且(また)は男陽なり、又なり、陰意として考ふ。  綿々は長きことの形容、長くつづく福禄があり、老いてからも安祥たる生活をするであろう  天鵝(てんが)の眼に喩へていう。 白鳥は天鵝の内なれども、家畜としての鵝鳥(がちょう)は似て非なるものにして、この内に入らず。 天鵝は水鳥なれども飛翔力は極めて強し、鵝眼の人は活動力も持長力も中々強く、成功多き方。 目裂短かく小型に見ゆる目、眼波(がんぱ・目の上下の波)長く、特に上瞼には小皺長く、眼波に沿うてあり、この眼波は天倉(てんそう・眉尻の上外側)にも及ぶほどの長さなり。 睛は黒く鋭き光あるもキラキラすることはない。 球は正規でで常に一方を注ぎ見る如き観がある、定睛(目が定まる)で平素あまりキョトキョトする様なことはない

〔角〕かく。 部位の名。  角にも前後の二がある、内角外角といふ、内角は目頭の一部、怒気殺気はこゝに立つ、目にカド立てるなどの時は此の所の肉気がムクリ立つのである。 外角は目の半ばを過ぎたる辺より眼尾(がんび)まで、主として上瞼に属するが、下眼瞼にも影響を持たぬではない、憤怒の気を生ずると上眼瞼の三角が嶮しくなり、下瞼部の白がハミ出す様に膨らみ、ある凄サを含んだ団円(だんえん・丸い)の気色(くしき)を具へて来、時には多少の潤ひをも生ずる

〔鶴眼〕かくがん。 鶴目かくもく・つるめ。  眼は秀でゝ精神あり黒白清し。 蔵神不露なれば功名顕はる。 昴々たる志風は斗に冲せん。 富貴にして須(ま)た当に上卿に達す 

(評訳)眼が凹(へこ)んではいけない、出目といふほどで無い程度に盛れ上がった様で、生き生きと精神があり黒白(黒目と白目)の境がハッキリと清(すず)しい。 神(眼光)落ちついて外へとびだし流れるやうなことはない、蔵神不露(神を蔵して露われず。眼光が内に収まっていてギラギラしない)なれば、キット功名が顕著である。 昴々(こうこう)は形容詞で勢い高きこと、その人の志気は牛斗(ぎゅうと)の間に達する位、牛斗は天の星宿の名、中天にあり、乃ち天といふの意、 冲すはいたる也。 富貴になる運があり、 須はまた必らずの意、 当(まさ)に上卿の位にまで達するであらう、 上卿は今なら国務大臣どころ   鶴目は小円にして黒く又た明なり。 昴頭高視、気は還(かえ)りて清。 寛和にして豪放、人となり及び難し。 自在に清閑に百令を過ぎむ (評訳)鶴目は小円、円字は眼子(がんし)のこと、 球が小形な方といふわけ、黒は黒睛が明朗であるとのこと。 又明は目のよいものは股間もよいの隠意を寓す(ぐう)す。 物を視るとき頭を高くあげて見、気品も高くてスガスガしい。 還(かん)はかへりてとよむ、かへりてまたの意。  心もち寛(ゆる)やかに和(やわ)らかく、 豪放は豪雄なところもあるが、またやり放しな所もあるといふ。 人はその人となり風格なり、 普通人のとても及び難い気風がある。 融通性があり行動交通は自在にまた清閑な生活を送り、  百令は百齢、長生するであらうと也  鶴目は閒癖の静なるを好む (評訳)閒癖とは閑静なる僻地のことである   鶴目は尖円。 黒白は分明。 頭を昴(あ)げて物を視(み)。 人となり寛にして慢なり、主として弧癖なるが多く。ついには清閒の処に終る (評訳)尖円(せんえん)の尖は眼尖(がんせん)、眼の前後の角又は眥(せい)の尖れること、円は目玉をしゅにし眼の中辺の円(まる)みあること、黒白は黒目と白目のあざやかにハッキリせること、 寛(かん)はその人となりの性質の寛大なること、 慢は慢心おごり高ぶり、また大まかに怠けダラシなき傾向あり。 弧癖は孤独生活のさびしき趣で晩年は清閑の地に終るであらう   ツルの眼に喩へて曰(い)う、鵠眼(こくがん)よりは少しく上下に巾ひろく、首尾左右に急に狭くなる傾向あり、 多くは二タ皮目で眼中すゞしく睛は蔵(かく)れる部分が多い、但し側面より見たる眼睛は少し下向き也  鶴目は尖円。 黒白は分明。 頭を昴(あ)げて物を視。 人となり寛(寛大)にして慢(慢心、緩慢)なり。 主として弧癖なるが多く。 ついには清閒の処に終わる  弧癖(こへき)は孤独生活のさびしき趣で晩年は清閑の地に終わるであろう   目を鶴に譬えるだけでなく、鶴からうける印象をも人に照らして判断する。 人相術を学ぶ者は人を万物に照らし、万物を人に照らして判断することが大切ではなかろうか。 

〔火形〕かけい。 五行の一つの相で、顔色全面的に赤目ざしたる也。 且つ筋肉だちて燃ゆる如く見ゆ  

〔火形之士〕かけいのひと。 火形の士は焦烈にして多筋  火形の人は色赤紅、足大にして上に尖りて高く、筋浮き骨立ち燃ゆるやうな趣に見える、焦(しょうれつ)多筋で其の性焦心烈しく筋立つ言語少しの怒気を含む、烈はまた裂、 其の形象は△ 火形は火に象(かたどる)る。 燃える火は上に尖るように、顔型は△か菱形。 色は赤く筋(すじ)が浮いた筋肉質。 気性は烈しく声は乾いて荒く烈しい。 火に関わる仕事や烈しい仕事が適職。 相性は木形と土形が吉、水形は凶。

〔格〕かく。 同類。

〔廓〕かく。 耳廓。 耳の縁が輪、その内側の少し高い軟骨が廓。

〔角〕かく。 目の部位。 目頭と目尻の上側。 角にも前後の二がある、 内角外角ともいふ、 内角は目頭のいちぶで、怒気殺気はこゝに立つ、目にカド立てるなどの時は此の所の肉気がムクリ立つのである。 外角は目の半ばを過ぎたる辺より眼尾(がんび)まで、主として上瞼に属するが、下眼瞼にも影響をもたぬではない、 憤怒の気を生ずると上眼瞼の三角が嶮(けわ)しくなり、下瞼部の(はく)がハミ出す様に膨らみ、ある凄サを含んだ  円の気色(けしき)を具えて来、時には多少の潤ひをも生ずる  平生に三角眼の人は自分勝手の強い、 また自分のためには可なり忍耐して労作にも従ふが、他のためには少しも仮借せず寛大のところはない。 三角眼は馬なら上等だが人にはよくない、 よく働き労作して得る所の少ない生涯を了る人である

〔額角〕がくかく。 額の両角、両隅。 

〔鶴形亀息〕かくけいきそく。 鶴形にして亀息、洞賓は僊に遇ふて僊を得たり (評訳)鶴形とは、痩せ形にして脚の長き格好(かっこう)、鶴の形に似たる趣あり  スラリとした上品な体形で飄々とした相で仙人に相応しい相。  亀息は口を結びて息をし気息の音せぬこと、 その息のあるや無しやの分からぬほど静かなることの形容  洞賓(どうひん)は人名。 侶ガン(りょがん)字は洞賓、純陽子と号す  鶴形で亀息であった洞賓は鐘離真人という仙人に出逢ってから道を修めて仙人となった。 僊人、遷人、仙人。 鶴形と亀息ともに仙人の相。 

〔火人帯木〕かじんにしてきをおびる。 火人にして木を帯ぶるは、必定栄超あらむ  火形の人の顔色に青味が出るか、若しくは背が極めて高いやうなら(木形の特徴)、火人が木を帯びたもので、それは木生火(木が火を生じる)であるから、必定栄超になるであらうと也  火と木は相性が良いので、火形の人に顔色に青みがあるとか、スラリとした体型であるとか、木形の特徴が加味されているのは、大いに吉であり必ず抜群の運命だということ。 

〔火得微金〕かのびきんをえる。 火の微金を得たるは、卒(つい)に進益なり難し  火形の人に少しだけ金形の特徴が加わると、金は忽ち溶かされて何の役にも立たない。 

〔峩肩鼠飧〕がけんそそん。 峩肩と鼠飧とは、惟(ただ)に吝なるのみに非ずして且(ま)た貪なり (評訳)峩は聳えること、肩肉ヤセガタにして肩端の首根より高く上がるものにて、肩の形四角に見える也、 鳶肩(とびかた)などもその内に入る  鼠飧とは物を食するに前歯をのみ多く用い、口中を微細に動かし、その貌(人相)は或は懼(おそ)れるものあるが如きの食相(食事の相) それら(峩肩と鼠飧)は惟(た)だに始末やの物おしみするばかりでなく底知らずの欲張りむさぼりやである。 也(また)且について性的陰意あり  飧は食することで食事の相。 貪(とん)はムサボルこと。 

〔臥蚕〕がさん。 眼頭下瞼の膨軟なる形が臥蚕に似たるに云う  下瞼の柔らかく膨れた形を蚕(かいこ)の寝た形に譬えて云う。 肉付きよく色の良いのは、性質明るく子供運が良い。 臥蚕は下眼瞼の目元近き方に、人によりて差はあるも臥蚕形に成り、膨軟にマブチの腫れぼったく見えるのをいう  下瞼(まぶた)の膨らんでいる部位。 膨らんでいないのは、本来は臥蚕とは云わない。 臥蚕がある 臥蚕がない ともいう。  子供運と陰徳の現れる所。 

〔臥蚕豊下〕がさんほうげ。 臥蚕の豊下(肉豊かに垂れ下がる)なるは、定めて子息の晩成あらん (評訳)豊下はその豊かに下る貌(かたち)にあるをいう。 この相の人は相続人である男子は必らず晩くなって出来るものだと、即ち前に出来る子は大抵女子かのみか、早く死ぬか或は不幸の児かで、あてになるような宜い児は後の方で出来る。 またその子が大器であり晩成するといふ

〔臥蚕明潤紫色〕がさんめいじゅんなるししょく。 臥蚕に明潤なる紫色あるは、必らず貴兒を産まむ (評訳)臥蚕が明潤であり紫色がゞって居る女は、必ずよい子を産むのだという  臥蚕は下瞼のプックリと盛り上がった所。 妊婦の臥蚕が美しいうす紫色であれば貴い子産む相。 

〔火宿〕かしゅく。 額のこと。 額は火宿たり、前三十載の栄枯を管す (評註)額は南岳で火星、運限としては三十前の栄枯を管する、前三十は三十前、載(さい)は歳に同じ ここでは額は三十歳までの栄枯盛衰を判定するとしているが、中国の流年法にも数種ある。 日本の先輩方が実験苦労して幾つかの流年法を伝えているが、私(天道春樹)は南北先生の流年法で鑑定している。 

〔肩寒〕かたさむ。 (評訳)肩端に肉気少なく寒々と見えること  孤独の相の一つ。

〔肩峩声泣〕かたはそびえてこえはなく。 (評訳)峩(が)は聳えるなり、鳶の肩の如く肩端(かたさき)尖り、首の付け根よりも高く怒って上がるなり。 今流行の女の角肩などもこれに準ずる、故に今の若い女はこの運に近きこととなる  肩が聳えるのを峩肩(がけん)という。 声は泣くとは 声カン高く、或は嘶(いなな)くごとく、また泣き声にも似たようなのは、出世しないか、本性が賤しいか、また孤独生活に終わるものである。 男女ともに同じだが、この類は女子の方が多い 賤しいか孤独か、どちらかの運命だろう。

〔火色〕かしょく。 赤い色。 赤ら顔。 

〔火色鳶肩〕かしょくえんけん。 火色にして鳶肩、馬周は三十にして唐帝に遭ふ (評訳)(火色とは)顔色の全面的に赤目ざしたること。 且つ筋肉だちて燃える如くに見える、即ち火形に属す (鳶肩とは)肩端が首根よりも高く張り上がりたる形、 鳶の肩に似たのをいう  峩肩(がけん)参照のこと。 馬周(ばしゅう)は人名。 三十歳の若さで唐帝に遭遇して出世したという故事に例えたもの。 火色鳶肩の者は、出世も早いが引くのも早いという。 火色も鳶肩も火形(かけい・五行の形の一つ)の特徴。

〔形清神濁〕かたちきよくしんにごる。  形は清くとも神の濁れるは、久しからずして貧窮す (評註)一見する所美男なれども何となく暗い影がある様に、見かけは清げなれども眼神面神その外の神気に濁気あるものは、今はとに角、久しからずして貧窮するに至るだらう  眼神(がんしん)は目つき眼光、面神(めんしん)は顔つきのこと。

〔貌清可栄〕かたちきよければさかえあるべし。  修道を作(な)す者、貌清ければ栄あるべし (評訳)修道者は道教の行者、日本にはないけれども修験道の行者は同類なる如し、貌(人相)スッキリと清きようなれば必らず出世する  貌は形だけでなく雰囲気など人相全体をいう。

〔形如土偶〕かたちどぐうのごとき。 形もし土偶の如くば、天命は逃れ難し (評訳)土偶は土で作った人形なり、顔面その他に生気のないことの形容、天命逃れ難しとは、来るべき災難はピタたピタと来て必ずしも病亡とは限らず  人相に生気が無くなれば災難もあれば病気もあり死ぬこともあるだろうとの意味。

〔貌若判官〕かたちはんかんのごとき。 貌判官の若きは、兒(こ)を得ること尤も晩きなり (評訳)冥土のエンマ大王を判官という、立派なれども厳(いか)めしい骨(こつ)張った冷々たる趣ある顔、その様なものは兒を得ること尤(もっと)も晩いという  閻魔大王の顔は、角長で顔色は青味がかり、眼はギョロリとしたようで唇は青黒くへの字気味で、苦虫を噛み潰したような顔付き。 子無しの相の代表。 但し、神気が強ければ多いに出世する相。 

〔形之不足〕かたちのふそく。  形不足の者は、頭頂尖って薄く、肩膊(けんぱく・肩から腕)狭窄(きょうさく・狭く縮む)、腰肋(ようろく・腰と腹)疎細(そさい・貧弱)、肘節(ちゅうせつ・ひじの関節)短促、掌薄く指は疎(あら)く、唇蹇(まが)り、額塌(おちい)り、鼻仰ぎ耳反り、腰低(た)れ、胸陥り、一方の眉は曲がり一方の眉は直く、一眼は仰ぎ一眼は低く、一睛は大きく一睛は小さく、一顴(顴骨)は高く一顴は低く、一方の手には紋有り一方の手には紋無し、睡中に眼を開け、言うに女声を作(な)し、歯は黄にして露はれ、口臭くして尖り、頂禿げ髪無し、目深くして睛を見ず、行歩 側(きそく・かたむく)、顔色痿怯(いきょう・力なく)し、頭小さくして身は大、上短くして下長く、此れを皆な形之不足と謂う也  形不足の者は疾(やまい)多く短命、福薄くして貧賤なり  形の不足を簡単に言うと、形が落ち込み歪み整っていないことや弱々しく、陰の相のことで、多くは短命で福分が薄く貧賤の運命であると。 他に形の有余 神の不足 神の有余 がありますが、何れも不足は陰相、有余は陽相のことで、運命鑑定では最も大切なことです。 

〔形之有余〕かたちのゆうよ。 形の有余ある者は、頭頂円厚、腹(腰?)背豊隆、額闊く、口方(四字口)、唇紅に、歯白く、耳円く輪を成し、鼻直にして瞻(騰?・たか)く、眼は黒白を分かち、眉秀でて疎(そ・密生せず)長。 座行端正 形の有余なるは、人をして長寿にして病無く富貴  形の有余とは陽相のことで、形が正しく強く余裕あることを言う。 長寿で立身富貴の相とする。 

〔形如羅漢〕かたちらかんのごとき。 羅漢顔。 形羅漢の如きは、子を見ること必ず遅し (評訳)シャカの十六羅漢の如き普通にない異形(いぎょう)なる顔貌のものは、子供の出来ることは必ず遅い 修行者の相は家庭に縁が薄い。 羅漢僧侶の相は独身か子無しと判断して多くは的中する。 相が清ければ必ず出世するから、子供に縁が薄いからといって凶相とは言えない。 

〔下停〕かてい。 ①顔面の下停は人中の元から顎の先端迄。 ②身体の下停は股から足の先迄。 

〔髪濃鬢重〕かみこくびんおもき。 髪濃く鬢重きは、兼ねて斜視ならば、以て多淫とす (評訳)髪濃く鬢重くとは俗にいう厚カシラのことで、おまけにソレが視瞻(しせん・眼使い)が斜であるようなら、その人は多淫なんだといえる 髪と鬢が濃くて重々しく見えること。 

〔髪斉額広〕かみととのひ、ひたいひろき。  髪斉ひ額の広きは、英俊にして聡明なり (評訳)髪際の毛並み好く、整った上に、額の広い子供は、英俊聡明である  額の生え際が綺麗に整い、額の肉も厚く、傷や黒子や乱紋などの障害物がなく額が綺麗な子供は聡明で早くから出世する相

〔上濶下尖〕かみひろくしもとがる。 上濶く下の尖れるは、終に結果なし (評訳)上半身巾広く、下半身の痩せ細る形、また顔面の上停(額)は偏平巾広であるのに、下停の顎の尖小又は痩せこけたるごときをいう。 この如き人は終(つい)にロクな結果はないと  ものは上から下に流れ、人相の流年も上から下に流れる。 下停は晩年の運命である人生の結果を見る所。 そこが弱ければ結局は良い結果は出せない。

〔髪細光潤〕かみほそくこうじゅんある。 髪細く光潤あるは、稟性(ひんせい)温良なり (評訳)髪の毛の細く光り潤いあるものは稟性(生まれつきの性分)が必ず温良なものだという。 そうでないものはそれだけ欠点がある、その分を修養しなければ運はよく成らない  髪の手入れ、髪型次第で運命は大きく変わることを、特に女性は知って戴きたい。 

〔河目海口〕かもく、かいこう。 河目にして海口なるは、食禄あること千鍾(せんしょう) (評訳)河目は長い目。 河のように長い譬え。 海口は大きな口。 大きさを海に譬える。 口の別名を大海(たいかい)ということによる熟字  河目海口は孔子の四十九異表の内に数へられる夫子(ふうし・立派な人の尊称)の人相也  一鐘は四十斛(こく)。 千鐘とは大多量の意味、  必ず千の字に拘るべからず  河目であれば海口であることが多い。 大金持ちの人相。 

〔火輪眼〕かりんがん。 眼形一定せず目裂にも大小あり。  遠く望むに火輪の如く、 また明星の輝く如く、 火の燃ゆるに似たる観ある也。  これは黒睛中の虹彩が著しく目に立つもの、但し大抵は黒睛は黄褐色のもの也。  気が強く、移り気でもあり性欲も強い  赤く燃えるような眼、 その目つきも含む。  自分勝手で悪死の恐れがある相。

 

【お】 

 

〔鴨眼〕おうがん。 アヒル、ガチョウの目。 鴨目おうもく。 鵝鴨眼(がおうがん)ともいふ、鵝眼に似た所もあるがその少し小づくりなもので、何となく賎しさがあり濁気がぬけない。 アヒル・ガチョウの目であり鵝目(がもく) 鴨目(おうもく)などといふ。 男は小人で一代碌々斗肖の輩、女は子供ばかり生んで教育も出来ず、一生夫の厄介者になり夫の出世を妨げ、地上から立ち上がることが出来ないやうに成らせる。 目の性はよいが眼形はツブラなばかり、光彩に乏しくカラ引き立たない

 

【か】

 

〔蟹眼〕かいがん。 蟹目かいもく・かにめ。  蟹目の睛は露にして又た頑遇(がんぐう)。 生平の賦性は江湖(こうこ)を喜ぶ。 児ありとも親養を供するを得ず。 問ふを止めよ、班衣(はんい)の有りや無しやを (訳)蟹目(かにめ)の睛は露出して眼肉の動きがギコチなく、瞬目充分佳(か)ならず。 このような人は男女とも性器過大なるのみにて不味(ふみ)であらう。 又た頑遇は両様にかけていふ。 生平は平生に同じ、普段あり来たりの天賦の性として糊口(ここう・世渡り)を好む、糊口はミズウミは勿論、蟹だから水を好むのだが、糊口はその形容から広い世間のことにいふ、カニメの人は広い世間にフラフラと世渡りするのが好きな性(しょう)で、コスモポリタン的傾向が十分にある。  児は有るだろうが、その児は自らの力で養ふやうなことはなく、人まかせにする貌(かたち)があり、また児は兎に角、自らの親を面倒みることなどはないだろうとなり。 班衣とは修養反省向上心などは少しも無い、また自己を飾る心、オシャレ気、人のよく見せようとする心がけなどない、ソレはきくだけヤボだとのこと  眼形は一定せざれども概して上瞼の外方に向ふ所に重点を置く、カニの目に喩えて其の趣あるにいふ。  眼球が必ず外方に片よる傾向あるのは、蝦眼(かがん・えびめ)類似ではあるがソレよりも突出形は甚だしく見ゆる、最も転動するときは殊に多い 転動は目玉を動かすこと  

 

〔海口〕かいこう。 大きな口を海に譬える。 口を大海(たいかい)とも言う。 形よく大きな口は男には吉、女は凶。 男面の一つの特徴で職業婦にはあながち凶とは言えない。

 

〔華蓋〕かがい。 眉肩(びけん)のこと。 眉尻の角。 毛の下がる所。

 

〔蝦眼〕かがん。 蝦目(かもく)。 蝦目(えびめ)と覚えると覚え易い  蝦目なるは操心(そうしん)すれども貌は卓然(たくぜん)たり。 英風(えいふう)あり艇々(ていてい)として自ら前に当る。 屯邅(ちゅんてん)するは火の歳、水には志を得べし。 晩末には栄ありと雖(いえど)も寿は延(えん)ならず (訳)蝦目の人は操心するやうなことがあっても、外観上の貌付(かおつき)などは何事もないようだ、とのこと。 操心は操縦の心で、心中にカレコレとヤリクリをおもうこと、従って心は燥(あせ)る操心は即ち燥心。 卓然は高く標致(ひょうち)し、すぐれたる様子、余裕ある意。 英風(えいふう)は男前よく立派やかなる姿勢であり、艇々は艇身、身を投げ出して自から事に当る、前はスゝム気風、まぬけ気前である。 屯邅はまごまごするのは火の歳、丙丁午未の歳で、その年は不運だが、水乃ち壬癸子丑の歳には得意のことはあらう。 晩年末主の頃には栄達することはあらう、だが程なく死ぬるやうなことがあらう。 寿は延ならずとは、(命が)長いことはないとなり  眼裂の形は尻下がり尻上がり水平いろいろあるが、眼球いづれも外方に片よる、所謂(いわゆる)外斜視も此の内に属する。 エビの目なり。 眼球やゝ食み出す様に見え、下眼瞼は、上眼瞼に比して押し出たる観がある、睛は黒目なるが多く、やゝ正視に近きものもあるが、どうしても少し凸出気味あるは免れない。 物を見るときまた目づかひするとき、上眼瞼の眼尾に近き方円形に緊張味出づるが特徴

 

〔鵝眼〕ががん。 鵝目(がもく)とも言う。 数波紋秀でゝは天倉を射る、物を視ること分明に、神は更に長し。 白少なく黒(こく・黒目)多きは心また善し。 綿々たる福禄は老いて安祥  (評訳)数本の波紋が長く秀でて天倉(てんそう)の辺までも及ぶ、波紋といふのは上瞼の沿線にある二皮目(ふたかわめ)の皺襞(すうへき)を波(は)といい、それに準ずる文様をなすもの、それを波紋という、ソレが数本長くあって上方に向ふ傾きがある。 従来の百三十部位では天倉は眼尾の外、而も下目の方に書いてある、天倉は眉肩(ぺけん・びけん)外といふのが定説、従来の部位図は明(みん)以後の俗書に誤られたものであろう。 秀づるとは日出(ひい)づるで下から上へ向ふ趨勢(すうせい)をいったものである。 物を見分ける力が明瞭で、外見上黒白(白目と黒目)は分明、分明の文字は両様かけていふ。 神(しん)は眼の光線、それが長く感ずるようにある。 白黒は眼睛と目睛の比較で、大抵黒目がちのものである。 そしてそれは心(しん)の善いものである。 心とは乃ち存心、心の動き方、在り方なると同時に、心臓そのものゝ丈夫さをもいうのである。 鵝眼は黒目がち眼が常体なものなんだが、その時は心が丈夫ではあるが、もしも白(はく)が著しく外見に目に付くやうな時は、心に故障があり、また何か悪心が萌(きざ)したと考えてよからう。  且(また)は男陽なり、又なり、陰意として考ふ。  綿々は長きことの形容、長くつづく福禄があり、老いてからも安祥たる生活をするであろう  天鵝(てんが)の眼に喩へていう。 白鳥は天鵝の内なれども、家畜としての鵝鳥(がちょう)は似て非なるものにして、この内に入らず。 天鵝は水鳥なれども飛翔力は極めて強し、鵝眼の人は活動力も持長力も中々強く、成功多き方。 目裂短かく小型に見ゆる目、眼波(がんぱ・目の上下の波)長く、特に上瞼には小皺長く、眼波に沿うてあり、この眼波は天倉(てんそう・眉尻の上外側)にも及ぶほどの長さなり。 睛は黒く鋭き光あるもキラキラすることはない。 球は正規でで常に一方を注ぎ見る如き観がある、定睛(目が定まる)で平素あまりキョトキョトする様なことはない

 

〔角〕かく。 部位の名。  角にも前後の二がある、内角外角といふ、内角は目頭の一部、怒気殺気はこゝに立つ、目にカド立てるなどの時は此の所の肉気がムクリ立つのである。 外角は目の半ばを過ぎたる辺より眼尾(がんび)まで、主として上瞼に属するが、下眼瞼にも影響を持たぬではない、憤怒の気を生ずると上眼瞼の三角が嶮しくなり、下瞼部の白がハミ出す様に膨らみ、ある凄サを含んだ団円(だんえん・丸い)の気色(くしき)を具へて来、時には多少の潤ひをも生ずる

 

〔鶴眼〕かくがん。 鶴目かくもく・つるめ。  眼は秀でゝ精神あり黒白清し。 蔵神不露なれば功名顕はる。 昴々たる志風は斗に冲せん。 富貴にして須(ま)た当に上卿に達す 

 

(評訳)眼が凹(へこ)んではいけない、出目といふほどで無い程度に盛れ上がった様で、生き生きと精神があり黒白(黒目と白目)の境がハッキリと清(すず)しい。 神(眼光)落ちついて外へとびだし流れるやうなことはない、蔵神不露(神を蔵して露われず。眼光が内に収まっていてギラギラしない)なれば、キット功名が顕著である。 昴々(こうこう)は形容詞で勢い高きこと、その人の志気は牛斗(ぎゅうと)の間に達する位、牛斗は天の星宿の名、中天にあり、乃ち天といふの意、 冲すはいたる也。 富貴になる運があり、 須はまた必らずの意、 当(まさ)に上卿の位にまで達するであらう、 上卿は今なら国務大臣どころ   鶴目は小円にして黒く又た明なり。 昴頭高視、気は還(かえ)りて清。 寛和にして豪放、人となり及び難し。 自在に清閑に百令を過ぎむ (評訳)鶴目は小円、円字は眼子(がんし)のこと、 球が小形な方といふわけ、黒は黒睛が明朗であるとのこと。 又明は目のよいものは股間もよいの隠意を寓す(ぐう)す。 物を視るとき頭を高くあげて見、気品も高くてスガスガしい。 還(かん)はかへりてとよむ、かへりてまたの意。  心もち寛(ゆる)やかに和(やわ)らかく、 豪放は豪雄なところもあるが、またやり放しな所もあるといふ。 人はその人となり風格なり、 普通人のとても及び難い気風がある。 融通性があり行動交通は自在にまた清閑な生活を送り、  百令は百齢、長生するであらうと也  鶴目は閒癖の静なるを好む (評訳)閒癖とは閑静なる僻地のことである   鶴目は尖円。 黒白は分明。 頭を昴(あ)げて物を視(み)。 人となり寛にして慢なり、主として弧癖なるが多く。ついには清閒の処に終る (評訳)尖円(せんえん)の尖は眼尖(がんせん)、眼の前後の角又は眥(せい)の尖れること、円は目玉をしゅにし眼の中辺の円(まる)みあること、黒白は黒目と白目のあざやかにハッキリせること、 寛(かん)はその人となりの性質の寛大なること、 慢は慢心おごり高ぶり、また大まかに怠けダラシなき傾向あり。 弧癖は孤独生活のさびしき趣で晩年は清閑の地に終るであらう   ツルの眼に喩へて曰(い)う、鵠眼(こくがん)よりは少しく上下に巾ひろく、首尾左右に急に狭くなる傾向あり、 多くは二タ皮目で眼中すゞしく睛は蔵(かく)れる部分が多い、但し側面より見たる眼睛は少し下向き也  鶴目は尖円。 黒白は分明。 頭を昴(あ)げて物を視。 人となり寛(寛大)にして慢(慢心、緩慢)なり。 主として弧癖なるが多く。 ついには清閒の処に終わる  弧癖(こへき)は孤独生活のさびしき趣で晩年は清閑の地に終わるであろう   目を鶴に譬えるだけでなく、鶴からうける印象をも人に照らして判断する。 人相術を学ぶ者は人を万物に照らし、万物を人に照らして判断することが大切ではなかろうか。 

 

〔火形〕かけい。 五行の一つの相で、顔色全面的に赤目ざしたる也。 且つ筋肉だちて燃ゆる如く見ゆ  

 

〔火形之士〕かけいのひと。 火形の士は焦烈にして多筋  火形の人は色赤紅、足大にして上に尖りて高く、筋浮き骨立ち燃ゆるやうな趣に見える、焦(しょうれつ)多筋で其の性焦心烈しく筋立つ言語少しの怒気を含む、烈はまた裂、 其の形象は△ 火形は火に象(かたどる)る。 燃える火は上に尖るように、顔型は△か菱形。 色は赤く筋(すじ)が浮いた筋肉質。 気性は烈しく声は乾いて荒く烈しい。 火に関わる仕事や烈しい仕事が適職。 相性は木形と土形が吉、水形は凶。

 

〔格〕かく。 同類。

 

〔廓〕かく。 耳廓。 耳の縁が輪、その内側の少し高い軟骨が廓。

 

〔角〕かく。 目の部位。 目頭と目尻の上側。 角にも前後の二がある、 内角外角ともいふ、 内角は目頭のいちぶで、怒気殺気はこゝに立つ、目にカド立てるなどの時は此の所の肉気がムクリ立つのである。 外角は目の半ばを過ぎたる辺より眼尾(がんび)まで、主として上瞼に属するが、下眼瞼にも影響をもたぬではない、 憤怒の気を生ずると上眼瞼の三角が嶮(けわ)しくなり、下瞼部の(はく)がハミ出す様に膨らみ、ある凄サを含んだ  円の気色(けしき)を具えて来、時には多少の潤ひをも生ずる  平生に三角眼の人は自分勝手の強い、 また自分のためには可なり忍耐して労作にも従ふが、他のためには少しも仮借せず寛大のところはない。 三角眼は馬なら上等だが人にはよくない、 よく働き労作して得る所の少ない生涯を了る人である

 

〔額角〕がくかく。 額の両角、両隅。 

 

〔鶴形亀息〕かくけいきそく。 鶴形にして亀息、洞賓は僊に遇ふて僊を得たり (評訳)鶴形とは、痩せ形にして脚の長き格好(かっこう)、鶴の形に似たる趣あり  スラリとした上品な体形で飄々とした相で仙人に相応しい相。  亀息は口を結びて息をし気息の音せぬこと、 その息のあるや無しやの分からぬほど静かなることの形容  洞賓(どうひん)は人名。 侶ガン(りょがん)字は洞賓、純陽子と号す  鶴形で亀息であった洞賓は鐘離真人という仙人に出逢ってから道を修めて仙人となった。 僊人、遷人、仙人。 鶴形と亀息ともに仙人の相。 

 

〔火人帯木〕かじんにしてきをおびる。 火人にして木を帯ぶるは、必定栄超あらむ  火形の人の顔色に青味が出るか、若しくは背が極めて高いやうなら(木形の特徴)、火人が木を帯びたもので、それは木生火(木が火を生じる)であるから、必定栄超になるであらうと也  火と木は相性が良いので、火形の人に顔色に青みがあるとか、スラリとした体型であるとか、木形の特徴が加味されているのは、大いに吉であり必ず抜群の運命だということ。 

 

〔火得微金〕かのびきんをえる。 火の微金を得たるは、卒(つい)に進益なり難し  火形の人に少しだけ金形の特徴が加わると、金は忽ち溶かされて何の役にも立たない。 

 

〔峩肩鼠飧〕がけんそそん。 峩肩と鼠飧とは、惟(ただ)に吝なるのみに非ずして且(ま)た貪なり (評訳)峩は聳えること、肩肉ヤセガタにして肩端の首根より高く上がるものにて、肩の形四角に見える也、 鳶肩(とびかた)などもその内に入る  鼠飧とは物を食するに前歯をのみ多く用い、口中を微細に動かし、その貌(人相)は或は懼(おそ)れるものあるが如きの食相(食事の相) それら(峩肩と鼠飧)は惟(た)だに始末やの物おしみするばかりでなく底知らずの欲張りむさぼりやである。 也(また)且について性的陰意あり  飧は食することで食事の相。 貪(とん)はムサボルこと。 

 

〔臥蚕〕がさん。 眼頭下瞼の膨軟なる形が臥蚕に似たるに云う  下瞼の柔らかく膨れた形を蚕(かいこ)の寝た形に譬えて云う。 肉付きよく色の良いのは、性質明るく子供運が良い。 臥蚕は下眼瞼の目元近き方に、人によりて差はあるも臥蚕形に成り、膨軟にマブチの腫れぼったく見えるのをいう  下瞼(まぶた)の膨らんでいる部位。 膨らんでいないのは、本来は臥蚕とは云わない。 臥蚕がある 臥蚕がない ともいう。  子供運と陰徳の現れる所。 

 

〔臥蚕豊下〕がさんほうげ。 臥蚕の豊下(肉豊かに垂れ下がる)なるは、定めて子息の晩成あらん (評訳)豊下はその豊かに下る貌(かたち)にあるをいう。 この相の人は相続人である男子は必らず晩くなって出来るものだと、即ち前に出来る子は大抵女子かのみか、早く死ぬか或は不幸の児かで、あてになるような宜い児は後の方で出来る。 またその子が大器であり晩成するといふ

 

〔臥蚕明潤紫色〕がさんめいじゅんなるししょく。 臥蚕に明潤なる紫色あるは、必らず貴兒を産まむ (評訳)臥蚕が明潤であり紫色がゞって居る女は、必ずよい子を産むのだという  臥蚕は下瞼のプックリと盛り上がった所。 妊婦の臥蚕が美しいうす紫色であれば貴い子産む相。 

 

〔火宿〕かしゅく。 額のこと。 額は火宿たり、前三十載の栄枯を管す (評註)額は南岳で火星、運限としては三十前の栄枯を管する、前三十は三十前、載(さい)は歳に同じ ここでは額は三十歳までの栄枯盛衰を判定するとしているが、中国の流年法にも数種ある。 日本の先輩方が実験苦労して幾つかの流年法を伝えているが、私(天道春樹)は南北先生の流年法で鑑定している。 

 

〔肩寒〕かたさむ。 (評訳)肩端に肉気少なく寒々と見えること  孤独の相の一つ。

 

〔肩峩声泣〕かたはそびえてこえはなく。 (評訳)峩(が)は聳えるなり、鳶の肩の如く肩端(かたさき)尖り、首の付け根よりも高く怒って上がるなり。 今流行の女の角肩などもこれに準ずる、故に今の若い女はこの運に近きこととなる  肩が聳えるのを峩肩(がけん)という。 声は泣くとは 声カン高く、或は嘶(いなな)くごとく、また泣き声にも似たようなのは、出世しないか、本性が賤しいか、また孤独生活に終わるものである。 男女ともに同じだが、この類は女子の方が多い 賤しいか孤独か、どちらかの運命だろう。

 

〔火色〕かしょく。 赤い色。 赤ら顔。 

 

〔火色鳶肩〕かしょくえんけん。 火色にして鳶肩、馬周は三十にして唐帝に遭ふ (評訳)(火色とは)顔色の全面的に赤目ざしたること。 且つ筋肉だちて燃える如くに見える、即ち火形に属す (鳶肩とは)肩端が首根よりも高く張り上がりたる形、 鳶の肩に似たのをいう  峩肩(がけん)参照のこと。 馬周(ばしゅう)は人名。 三十歳の若さで唐帝に遭遇して出世したという故事に例えたもの。 火色鳶肩の者は、出世も早いが引くのも早いという。 火色も鳶肩も火形(かけい・五行の形の一つ)の特徴。

 

〔形清神濁〕かたちきよくしんにごる。  形は清くとも神の濁れるは、久しからずして貧窮す (評註)一見する所美男なれども何となく暗い影がある様に、見かけは清げなれども眼神面神その外の神気に濁気あるものは、今はとに角、久しからずして貧窮するに至るだらう  眼神(がんしん)は目つき眼光、面神(めんしん)は顔つきのこと。

 

〔貌清可栄〕かたちきよければさかえあるべし。  修道を作(な)す者、貌清ければ栄あるべし (評訳)修道者は道教の行者、日本にはないけれども修験道の行者は同類なる如し、貌(人相)スッキリと清きようなれば必らず出世する  貌は形だけでなく雰囲気など人相全体をいう。

 

〔形如土偶〕かたちどぐうのごとき。 形もし土偶の如くば、天命は逃れ難し (評訳)土偶は土で作った人形なり、顔面その他に生気のないことの形容、天命逃れ難しとは、来るべき災難はピタたピタと来て必ずしも病亡とは限らず  人相に生気が無くなれば災難もあれば病気もあり死ぬこともあるだろうとの意味。

 

〔貌若判官〕かたちはんかんのごとき。 貌判官の若きは、兒(こ)を得ること尤も晩きなり (評訳)冥土のエンマ大王を判官という、立派なれども厳(いか)めしい骨(こつ)張った冷々たる趣ある顔、その様なものは兒を得ること尤(もっと)も晩いという  閻魔大王の顔は、角長で顔色は青味がかり、眼はギョロリとしたようで唇は青黒くへの字気味で、苦虫を噛み潰したような顔付き。 子無しの相の代表。 但し、神気が強ければ多いに出世する相。 

 

〔形之不足〕かたちのふそく。  形不足の者は、頭頂尖って薄く、肩膊(けんぱく・肩から腕)狭窄(きょうさく・狭く縮む)、腰肋(ようろく・腰と腹)疎細(そさい・貧弱)、肘節(ちゅうせつ・ひじの関節)短促、掌薄く指は疎(あら)く、唇蹇(まが)り、額塌(おちい)り、鼻仰ぎ耳反り、腰低(た)れ、胸陥り、一方の眉は曲がり一方の眉は直く、一眼は仰ぎ一眼は低く、一睛は大きく一睛は小さく、一顴(顴骨)は高く一顴は低く、一方の手には紋有り一方の手には紋無し、睡中に眼を開け、言うに女声を作(な)し、歯は黄にして露はれ、口臭くして尖り、頂禿げ髪無し、目深くして睛を見ず、行歩 側(きそく・かたむく)、顔色痿怯(いきょう・力なく)し、頭小さくして身は大、上短くして下長く、此れを皆な形之不足と謂う也  形不足の者は疾(やまい)多く短命、福薄くして貧賤なり  形の不足を簡単に言うと、形が落ち込み歪み整っていないことや弱々しく、陰の相のことで、多くは短命で福分が薄く貧賤の運命であると。 他に形の有余 神の不足 神の有余 がありますが、何れも不足は陰相、有余は陽相のことで、運命鑑定では最も大切なことです。 

 

〔形之有余〕かたちのゆうよ。 形の有余ある者は、頭頂円厚、腹(腰?)背豊隆、額闊く、口方(四字口)、唇紅に、歯白く、耳円く輪を成し、鼻直にして瞻(騰?・たか)く、眼は黒白を分かち、眉秀でて疎(そ・密生せず)長。 座行端正 形の有余なるは、人をして長寿にして病無く富貴  形の有余とは陽相のことで、形が正しく強く余裕あることを言う。 長寿で立身富貴の相とする。 

 

〔形如羅漢〕かたちらかんのごとき。 羅漢顔。 形羅漢の如きは、子を見ること必ず遅し (評訳)シャカの十六羅漢の如き普通にない異形(いぎょう)なる顔貌のものは、子供の出来ることは必ず遅い 修行者の相は家庭に縁が薄い。 羅漢僧侶の相は独身か子無しと判断して多くは的中する。 相が清ければ必ず出世するから、子供に縁が薄いからといって凶相とは言えない。 

 

〔下停〕かてい。 ①顔面の下停は人中の元から顎の先端迄。 ②身体の下停は股から足の先迄。 

 

〔髪濃鬢重〕かみこくびんおもき。 髪濃く鬢重きは、兼ねて斜視ならば、以て多淫とす (評訳)髪濃く鬢重くとは俗にいう厚カシラのことで、おまけにソレが視瞻(しせん・眼使い)が斜であるようなら、その人は多淫なんだといえる 髪と鬢が濃くて重々しく見えること。 

 

〔髪斉額広〕かみととのひ、ひたいひろき。  髪斉ひ額の広きは、英俊にして聡明なり (評訳)髪際の毛並み好く、整った上に、額の広い子供は、英俊聡明である  額の生え際が綺麗に整い、額の肉も厚く、傷や黒子や乱紋などの障害物がなく額が綺麗な子供は聡明で早くから出世する相

 

〔上濶下尖〕かみひろくしもとがる。 上濶く下の尖れるは、終に結果なし (評訳)上半身巾広く、下半身の痩せ細る形、また顔面の上停(額)は偏平巾広であるのに、下停の顎の尖小又は痩せこけたるごときをいう。 この如き人は終(つい)にロクな結果はないと  ものは上から下に流れ、人相の流年も上から下に流れる。 下停は晩年の運命である人生の結果を見る所。 そこが弱ければ結局は良い結果は出せない。

 

〔髪細光潤〕かみほそくこうじゅんある。 髪細く光潤あるは、稟性(ひんせい)温良なり (評訳)髪の毛の細く光り潤いあるものは稟性(生まれつきの性分)が必ず温良なものだという。 そうでないものはそれだけ欠点がある、その分を修養しなければ運はよく成らない  髪の手入れ、髪型次第で運命は大きく変わることを、特に女性は知って戴きたい。 

 

〔河目海口〕かもく、かいこう。 河目にして海口なるは、食禄あること千鍾(せんしょう) (評訳)河目は長い目。 河のように長い譬え。 海口は大きな口。 大きさを海に譬える。 口の別名を大海(たいかい)ということによる熟字  河目海口は孔子の四十九異表の内に数へられる夫子(ふうし・立派な人の尊称)の人相也せz一鐘は四十斛(こく)。 千鐘とは大多量の意味、  必ず千の字に拘るべからず  河目であれば海口であることが多い。 大金持ちの人相。 

 

〔火輪眼〕かりんがん。 眼形一定せず目裂にも大小あり。 遠く望むに火輪の如く、また明星の輝く如く、火の燃ゆるに似たる観ある也。 これは黒睛中の虹彩が著しく目立つもの、但し大抵は黒睛は黄褐色のもの也。 気が強く、移り気でもあり性欲も強い  赤く燃えるような眼、その目つきも含む。 自分勝手で悪死の恐れがある眼相。 

〔眼窩〕がんか。 目の穴。 目の出具合。 奥目、出目。

〔眼下皺紋〕眼下に皺紋(しゅうもん)あるは、末主には六親に氷炭あり (評訳)目の直下(ました)の一指横径位(眼下一帯)の所にある皺紋なり。 いかなる形のものでも、ソレは行くは、末主(まっしゅ)晩年には六親と仲わるに成る。 六親(ろくしん)とは通俗には父母兄弟妻(夫)子の六近親のこと  一指横径(いっしおうけい)とは、指先を横に当てた位の範囲。 眼下に皺が多いのは、晩年には身内と反目する相。 孤独の相の一つ。 眼下は子孫の宮。 

〔雁眼〕がんがん・がんもく、がんめ、かりめ。 睛は黒漆の如きも金黄(きんき)を帯ぶ。 上下の波紋は一様の長く。 相に入るもの官と為れば恭(きょう)且つ蘊。 連枝同気の姓名香ばし (評訳)眼球の黒きことは漆(うるし)を点じたようだが、僅(わず)かに金色の如く黄味が加わる。 上下の波紋、上眼瞼、下眼瞼のフチの線が同じやうに、長く波形をなして眼尾紋(がんびもん)つづく。 入相は相格に入るの略、ピッタリとこの通りの眼形であるなら、官人となるが宜い、 さすれば恭且つ蘊、恭は人に尊敬せられ、職分は安らかに、アツマリ、ムツむである、 薀畜があり、徳をつむ、財産もたまれば子孫も繁昌する。  連枝(れんし)は兄弟近親、同気(どうき)は気の合った縁者、それらの姓名が香ばしい、共にそれぞれに出世上達するであろう  長型の眼なり、目元のゆるめが特徴、実際雁の目がこのごとしといふのではないが、雁目(がんもく)ガンメなどという

〔眼角〕がんかく。  眼角に眼尾にも眼頭にもあり  目頭、目尻のこと。

〔乾姜之手〕かんきょのて。  乾姜の手、女子は必ず善く家を持つ (評訳)乾姜(かんきょう)はしょうがの薬品名、姜は美女に縁ある字、  太古の歴史にも此の事あり、 故にあえてこの字を用いるも、只のしょうがの意、 浙江広東辺のしょうがは日本産の十倍もあり、その丸さ女の拳位なり、 即ち女の拳背(手の背)が丸々と肥えて、その指の細きことはしょうがの茎の如く直にして節の見えないのが良い。 女子の手がその如くであれば、必らずよく家を持つという、俗にいふ所帯持ちが良い相

〔眼光如水〕がんこうみずのごとし。 眼光水の如きは、男女共に多淫なり (評訳)眼中の光りに水の浮いている様に見える、水光(すいこう)などともいう、 これは男女共に淫心の芽生えあり、 自然の結果なり。 修養多年にして淫心が止む時は、眼光も平静(普通)に帰る  眼光如水とは、眼光と眼球に水気を含み、水光するをいう。 眼光が流れる様、淫らな流し目も含む。 多淫とは好色という意味と、淫は陰で人知れぬ隠れ事などの意味もある

〔眼光如酔〕がんこうよへるがごとし。 眼光酔へるが如きは、桑中の約は窮まり無し (評訳)眼中の光が酔ったかのように見える女は、桑中の約(詩経庸風の詩にある語、男女私かに相約して会ふことをいう、大昔し養蚕のための桑摘み女が桑畑中にて淫風多かりし故にいう。 無窮(きわまりなし)とは、甲乙丙丁の男と約束することも、破約することも平気だという意味。 無類の多淫浮気なり  この相には桃花眼(とうかがん)と桃花顔(とうかがん)を兼ねることが多い。 桃花とは桜色のこと。 

〔顴骨〕けんこつ・かんこつ。 

〔監察官〕かんさつかん。 眼のこと。  眼を監察官と為す。 黒白分明(黒目白目がハッキリ)を喜ぶ。 神を蔵して露ならず。 黒きこと漆の如く、白きこと玉の如く、波長く耳を射る、  自然に清秀にして威有るは此れ≪監察官の成る≫なり  蛇、蜂、羊、鼠、鶏、猪(ちょ・豚)、魚、馬、火輪、四白眼等の眼、 赤白紗侵し睛濁り黒白混雑し、兼ねて神気太(はなは)だ露れ、昏味にして清かざるは、此れ≪監察官の成らざる≫なり。 又且つ愚頑にして兇敗す   神清く爽やかにして秀で、長きこと鳳目(ほうもく)の如きは、身顕(あら)はれ王侯と作(な)らむ (解説)神清く秀づる者とは瞳子(どうし・眼)瑩潔(えいけつ・明らか)、黒白分明、暁星(ぎょうせい)の如く、光り四遠を射るをいう。 長きこと鳳(鳳目)のごとき者とは、鳳目細長(鳳目は細く長い、切れ長)、目尻は鬢に入る(長いことの喩え)、眼の長さ一寸五分(約四九、センチ)、大富の相。  蜀の關雲長(かんうんちょう・三国時代の三傑の独り關羽)、唐の房玄齢(ぼうげんれいてん・唐の名相)共に鳳眼に応ず  運限は両目で六年、≪左目三十、三十一、三十二才≫、≪右目三十三、三十四、三十五才≫、(女子は左右が逆になる)、 目には四神あり、 黒子生じて眼胞の上に在る者は貪婪にして窃(ぬすみ)む   気色は、三陰三陽に忽然として≪黒気≫を生ずるあれば家宅寧(やす)からず(死相の一つでもある)、 ≪紅≫なる者は火災あり、 眼下に≪青≫を舗(し)ける者は口舌に連累す。  ≪赤≫きは官災、 ≪黒≫きは破耗。  ≪黄明≫(こうめい)なるは最も吉。  女子の目下≪青≫き者は夫を喪ふ、  ≪赤≫き者は産厄あり、  眼尾の色≪瑩白光潤≫なる者は、夫位増遷し(夫の身位上達する)、 財禄の喜びあり  

『両眼に光浮び、双輪に火を噴(は)くものは、殺人の賊にして姦謀(かんぼう)を好むものたり (解説)両眼に光浮ぶとは、噴突(眼光が噴火突進する)収まらず、光り人を射るをいう。 双輪に火を噴くとは、上下の眼堂(目の上下、目全体)紅赤なること、炎火の外に噴(ほとばし)るがごとし。 これに似た者は則ち人となり凶悪で奸(よこしま)狡(ずるい)貪(むさぼる)なり、  衷(うち)に奸盗の心を懐き、しかも平生の悪あり。  (目の運限、流年は)三十歳にして入運し、三十五に至る(三十歳~三十五歳、左右で六年)。  睛(虹彩の所)は漆(うるし)を點(てん・着ける)ずるが如し(漆色、黒い)。  目中に赤沙(せきしゃ・充血状態)起これば法に死す(法律に触れて死ぬ)、 須らく己を防(まも)るべし、 又之れを蛇眼(だがん)赤沙ともいう、 これを火を噴くという

『睛(せい)の漆を點(てん)ずるがごときは、応(まさ)に是れ常流(じょうりゅう・普通)にあらず (解説)両睛の黒光點漆(てんしつ)の如く、昭暉(しょうき・かがやく)明朗、光彩人を射る者は、極貴の人臣(じんしん)、神仙高士、奇異の相にして、しかも平生の福たり。 三十歳より三十五歳に至る、 この六歳(六年)に功名を顕耀(けんよう・かがやく)す

『眼の大なる者は多く芸業を攻(きわ)める (解説)眼睛(がんせい・眼)大にして端定に、浮はず露はならず、黒白分明成る者は、よろしく芸業を学ぶ可(べ)きを主る、  衆人に異るの家を成し業を立つ 

『上視者』じょうししゃ。  上視者とは與(与・とも)に交游(こうゆう)すること勿(なか)れ (解説)上視者は、或は物を看るに観望し、或は人を観るに、面を昴(あ)げて睛(せい)昴り、上に向って視る者は、人と為り賊性あり。  自強自足、物を容(い)れず(雅量なし)、太(はなは)だ察し多く疑う、  友と為す可(べ)からず、  同行(事を一緒に為す)は須らく富貴の中に在るべし(双方又は何れか一方の富貴なる内に限る)。  深交はなすべからず、  上視者は人と為り多くは狼(動物的で心がネジケている

『斜観』しゃかん。 狼目(ろうもく)なるは、強いて独り勝たんとし、慳吝(けんりん)にして更に貪り求む (解説)斜観者は人と為り稟請(りんせい・ひんせい・生れ付き)剛強。  独り能(よ)く慳吝をなす者は、自ら慳(かた)ましくして施さず、 卑(いや)しく貪(むさぼ)り聚(あつ)めるを愛(め)で、人を損じて己を安んず。  縦(たと)へ富貴に居り文を能くすとも、亦た慳吝の心を改めず、  口腹相応の人たる能(あたは)ざる也(腹と口の相違するウソツキ偽善者なり)。  眼は心の外戸(窓)と為す、 その物外を見て其の内を知る也。  胸中正しければ則ち眸子(ぼうし・眼・瞳)瞭(あきら)かなり、 胸中正からざれば則ち眸子眊(くら)し。  眸子の不正なるはその悪を掩(おお)う。  善悪は目中の偏正に在り、 善者は正視し、神(しん・眼)清く睛(せい・眼)定まる、 悪しき人は斜視し、睛は定まらず神(眼、眼神)濁る。  目に些(いささ)かの小病(欠点)あれば、心に些かの小毒あり、 眼に十分の病あれば、心に十分の毒あり。  眼の善きものは心も亦(ま)た善く、眼、悪ければ心も亦た悪し。  斜盻(しゃけい・にらむ)する者は人その毒に遭ふ、 然も富貴に居り、 書を知るとも心中正しからず、 小人に於いては尚更である 

『円大(目が丸く大きい)にして神光露(あらわ)れるは、心に兇狠(きょうこん)を懐く、 訟獄(しょうごく)憂う (解説)若し円大にして眼睛(がんせい・光彩の部分)突露し光るがごとき者は、兇暴にして、多くは禍患(かかん・災い)を招き、常に囹圄(れいご・牢獄)の囚繋(しゅうけい・繋がれる)の難に遇う。  平生の凶たり、 二十八の限三十五歳に至りて利しからず三十七八九亦(また)然り、 富貴に居ると雖も亦兇徒たり。  若し肯(あ)えて書を読み君子に近づき小人を遠ざくれば、其の凶半ばは減ぜんか。  眼突(がんとつ)と交る莫(なか)れ、  往々災迍(さいちゅん)を見る。  眼露なれば心も亦た露なり) 

『鶏(けい)、蛇(だ)、鼠目(そもく)に似たのは濫(らん・貧乏)せざるも須らく偸む(ぬす)む (解説)鶏目(けいもく)は痕(こん・恨み)なくても好んで闘いい、淫を貪る。 蛇目(だもく)は上胞厚くして心に毒あり。  鼠目の左小にしては窃盗をなす。 似たる者男女ともに窃盗し、貪婪(どんらん・卑しく貪る)恥じる心は無し。  富貴に居る改まることなく。 姦妒(かんと・邪心)の象なり

『三角にして深く蔵(かく)れるのは毒害あり (解説)眼に三角を生ずるは凶狠(きょうこん)の人、 常に物を損じ人を害す。 これが女子ならば夫を妨げる不良。 三角は嗔(いか)ること多し。  婦人の眼に三角を生ずるは殺夫(夫を傷める)の剣のごとし 

『頻(しき)りに偸視(とうし・盗み見)するものは定めて良籌(りょうちゅう・良い考え)無し』 (解説)頻りに偸視する者とは、談話の間、広会の座において低目(ていもく・下目使い)し沈吟(ちんぎん・つぶやく)する、常々(しばしば)眼を用ひて人を偸観(盗み見)する者をいう、 心性定まらず疑ひ多く智浅きの象

『眼神』がんしん。  神は眼を主とす  体神、面神、眼神の三神の内でも、眼神が一番大切だ。  体神は身体から発する神気(しんき)、面神は顔付きにある神気、眼神は眼光にある神気のこと。  神気とは力と雰囲気。   眼神に七つの相あり。 秀でて正しく。 細くして長く。 定まって出る。 出て入る。 上下白からず。 見ること久しくして脱せず。 変に遇うて眊(くら)まず  以上は眼相の上相(じょうそう) 

『眼中五臓』がんちゅうごぞう。 (解説)眼には五臓六腑の性能が総て影響します、 故に達人は眼さえ見れば、身内心内の事象は明瞭だという 眼白(白目)の肉質は、木(五行)、仁(五情)、肝(五蔵)、胆を表し、 黒白(瞳と光彩)の堺、 白睛の色合いは、金、義、肺、大腸を表し、  眸子(ぼうし・瞳)の大小形状清濁は、火、礼、心、小腸を表し、   黒睛(睛・虹彩)の質、虹彩の鮮明度は、水、智、腎、膀胱を表し、  目尻目元の紅肉。 全面の色沢潤気は、土、信、脾、胃を表し、  目裂(目の開き具合)と状勢傾向等は、土用、忠、膵、三焦を表す  肝に衰へのある時、その人の生活が精神的に不調和な時、 栄衛失調の時などは白目にユルミ出て贅肉などもできる、 白目に濁気があり、 或は色が青黒いのは肝症なり、 性癖に特異あり。  白目黒目の色の冴えて美しいのに、黒白の境目に濁乱があるのは肺患あり、 黒睛が正円でないものもまた同じ。  眸子(ぼうし・瞳)引き締まりて正円なのは心安くして健全、     外光の度(ど)に応じて速やかに大小変貌するのは、心正しく弾力があり、感受性が強い人。 もしこれに反すればダメ。  眸子の正円でないのは心の疲労なり、 (眸子が)左方右方に偏頗(へんぱ)大小あり、又イビツであるのは、その人の肉体の左右に疲労衰弱故障等の反応がある。  黒睛が黒いばかりで光沢がなく、消し炭色に見える者などは、睛が白中に落ち着き平らに見えても、ソレは変質者的傾向があり、変態性欲者なることが往々にある。 年小にして色難がある

〔眼頭〕がんとう。  メガシラ、目頭(もくとう)のこと。

〔眼堂〕がんどう。  目と上瞼下瞼、目全体。 

〔眼堂豊厚〕がんどうのほうこう。  眼堂の豊厚なるは、也(ま)た貪淫(たんいん)なるを主どる (評訳)眼堂の豊厚も結構だが、主として目の皮が厚すぎては淫欲に没頭する傾向がある、 ≪目は性器の形趣を代表≫す、 豊厚なる男子は相当以上の逸物を有し、女子はまた肉付豊かなる偉大サある赤貝のごときなり。 也の字は女陰の形を示す   目と上瞼下瞼、眼全体を眼堂と云い、肉厚であれば貪淫(淫を貪る)相。 

〔眼凸〕がんとつ。 眼突。 (解説)眼突とは白と睛ともに眼瞼(がんけん)から前面に食(は)見出したように見えるもの、 また眼部全体が盛り上がった貌(かたち)で外方に凸出して見えるもの、大抵は両方(凸眼と眼凸)を兼ねるものです 凸眼は黒目が盛り上がった貌。 眼凸は目全体が出た相。 

〔眼波〕がんぱ。 波紋。  目頭から目の上下の瞼に沿って流れるシワ、紋。 

〔眼尾〕がんび。  (解説)眼尾は目尻とも後尾ともいう、 めじりのこと。 百三十部位では魚尾(ぎょび)という、 多くの人の目が概形が魚尾に似ているのに因る

〔奸門〕かんもん。 (解説)目尻の部位、魚尾(ぎょび)と接し、或は同一といわれている   奸門とは魚尾の外方に並べられているが、実は魚尾すなわち奸門であって、その外に並べたのではその性能が実際にはピッタリ来ない、 魚尾奸門部位が陥没しているか平満か、その気色、斑痣等のあるなしが大いに影響する、  奸門の一名を盗門(とうもん)といふ  奸門は目尻のことで、夫婦関係恋愛関係の現れる所。 

〔奸門青慘〕かんもんせいさん。  奸門に青慘あるは、必ず妻災あるを主どる (評訳)奸門は(男は)本人の右を盗門(恋愛宮)という、女子は反対(左が盗門)、魚尾(ぎょび・目尻)に並ぶというも実は殆ど同一場所。 但し魚尾は左右共に魚尾という、何れも百三十部位の名称で、十二宮にでは妻妾宮(さいしょうきゅう)に当る  慘(さん)は青白い色、 青気(せいき・青い気色)のやゝ地に付いた程度のもの 目尻に青い色が現れたら、必ず妻に疾厄があるという意味。 頭門には妻や夫以外とその関係の有無とその吉凶が現れる。 反対の目尻、男子は左、女子は右の目尻には夫婦関係の吉凶が現れる。  恋愛宮に対して夫婦宮という。

〔奸門白青〕かんもんにはくせい。  奸門に白青あるは、禍ありて妻妾を侵す  魚尾奸門に白青色があれば、妻や妾に禍がある。  配偶者か恋人と不仲の場合と、相手が病気や災難に遭う場合がある。 

〔眼裂〕がんれつ。  目裂ともいう。  眼の裂け目、 開き具合、 眼の長さをいう場合もある。 (解説)自然形としては上下平均に裂けて円大になったものから、その生活環境の状態に従って種々に変化し、徐々に細長く又たは短小などの雑多の形勢を造作したものである

〔官禄宮〕かんろくきゅう。 官禄は位を中正に居す。  上は離宮に合す  中正は額の中央。  官禄宮は額の中心から一寸円内(直径二寸・六センチ)。  離宮は額全体。  官禄宮は≪天運を表す額の上部≫と≪自分を表す命宮≫との中間にあって、努力が報われるか、天運があるかを見る急所。  現在の全体運、仕事運、目上との関係、官庁関係、裁判などのことが現れる重要な部位。