人相術辞典  【し】

『人相術辞典  天童観相塾より』     【し】

 

『四学堂』     『一に曰く、  眼を官学堂と為す。   眼は長くして清きを要す。   官職の位を主どる。   二に曰く、 額を禄学堂と為す。   額は濶くして長きは官寿を主どる。    三に曰く、  当門両歯を内学堂と為す。    周正にして密なるを要す。  忠信孝敬を主どる。   疎欠(そけつ)にして小ならば狂妄多きを主どる。   四に曰く、  耳門の前を外学堂と為す。   耳前豊満にして紅潤なるを要す。   聡明なるを主どる。    若し昏沈ならば愚鹵(ぐろ)の人也』     疎缼(そけつ)は、  前歯に隙間が多かったり抜けたり曲がったり。    愚鹵(ぐろ)は愚かなこと。   

〔耳郭〕   じかく。     単に郭ともいう。     耳の輪の内の軟骨。    ここは顴骨に相当し、   郭が高いと我が強く後家相の一つ。  

〔耳角〕   じかく。   耳の外輪の上方の角。   

〔獅眼〕  しがん。     『眼大なれば威厳あり、   性は略(ほ)ぼ狂。   粗眉これを趁(お)う、 又た端荘。   貪らず酷ならず、  仁政を施さば。   富貴栄華あり福禄康し』     (評訳)  眼は平素は小型なれども一反奮怒気味のときは、  忽ち大となる、   その時は威厳があるが、   性は略ぼ狂である、   狂とは古来ある狂い獅子という語をこの詩に活用したものであろう。    この刮目(かつもく・カッと見開くこと) 大なる時は気短く、  ヒス的になることあり。    眉もまたこれに相応する大柄なものがあって、   中々端荘立派に見える。   趁(おお)うの字は、   眼の威あるに準じて相当なものがあるの意で、  獅子の走るに縁語也。    眉第一(眉の本の名)  第九章二五二項獅子眉もその一ではあるが、    この獅子眉でなくとも立派なものは数多い。     又た端荘とはこの眉目のものは、   男女とも局部の出来が立派なものであるとの隠語である。    この人貪らず酷(こく)ならず仁政を施さば、   政治の主権者ならば本来相応の性格であらう、    常人でも人に対して篤行的であるならば。    後々は富貴栄華を得て福禄安康の生計を成すに至らうと也       目裂(もくれつ・目の長さ)は余り長からざれども平素は細目に見え、   刮目すれば大にして眼尾が頓(にわ)かに細く、  椎の美型なり、    但だ目尻は少しつり上り気味のもの多く、    目に威容あり黒睛は奥にチラチラと清冷に光る。   目頭に眼角(がんかく)あり、   外眥(がいせい)清く球は正視にして前方を見る、    上下の瞼すべて腫れぼったく、   マツ毛は内辺にありて目につかず。    眉は大抵太く粗にして目相当に偉大なるが多し、    若(も)しこれに獅子眉(ししび)を兼ねるやうならば、  また獅子額ならば、   妻財子の三運ともに遅しとす。   目瞼の肉あまりに豊かにハレボッたく、   眼睫(まつげ)まくれこみ、   眼波(がんぱ・眼の上下の波紋)なく一皮目(ひとかわめ)となり、    為に目細小の如くに見ゆるものの内には、   癩(らい・癩病)の遺伝あるもの時になきにあらずと、   コレは大三浦博士の研究説なり、   詳具は筆紙に述べ難し

〔四強〕    しきょう。     『平生の造化は当(まさ)に首(はじめ)に四強を取るべし』     (評訳)  人間の平生の幸不幸運不運の仕合わせは、  造化の字は概して仕合わせと訓ず、    その仕合わせは当に首めに面の四強に取って考える方がよい。     四強は四彊(しきょう)東西南北の四方の境で、    人面にとりては顔の四隅がタップリしてるかどうかを想定するのである    四強は顔の四隅が強い、   骨格と肉付きが良いこと。     彊は硬く強い意味。   彊(きょう)、  畺(きょう)は境界に意味。  

〔歯齦〕     しぎん。    歯茎のこと。   

〔歯齧頭揺)   しげつとうよう。     『歯齧し頭揺するは、  その性奸貪なること比(たぐ)い無し』     (評訳)   歯齧とは理由もなくハガミしてガチガチ音をさせるのをいい、   例えそうでなくても其(そ)の如くに見えるのをいう、   頭揺とはこれも故なく妄りに平生数々頭を打ちふるクセある也、   その如(ごと)き人は其の性奸貪無比なりと    いつも細かく何かを噛んでいるように、  顎を動かして歯を噛み合わせているのを歯齧と言う。    住所が定まらない者も多い。    顎は地閣で住居を表すから、  それを細かく動かすのは住所に落ち着かない相。   

〔耳弦〕    じげん。      耳の穴の前の突起。   弦根(げんこん)ともいう。   ここに明るく綺麗な色が現れたら良いことを耳にする相。    それが悪色であれば凶事を耳にする。   

〔耳豪〕   じごう。     『只だ是れ毫の竅内(きょうない)に生ずるは、   頭白(とうはく)の老龍鐘』    (解釈)  毫は孔内に生ずる毫毛(ごうもう)也。  龍鐘は竹名。   其の曲頭垂れて地に向かふ。  若(も)し人、  耳毫を生ずれば、  長寿を主どる、    龍鐘の竹に似たり、  頭を曲くること緩く低く、  極老の相也    

『耳に豪毛あるは、 定めてこれ長生の客』   この人は定めて長生きだと。   目出度い相ではあるが、   ただ長ければ良いという訳ではないので、   手入れも必要となる。   

〔耳根高骨〕    じこんのこうこつ。      『耳根の高骨は、 名づけて寿堂と曰う』    耳の後ろの骨が高いのを寿堂という。   長生きの相。    この骨を寿骨ともいう。   

〔耳根黒子〕    じこんにほくろ。      『耳根に黒子あらば、  路傍に倒死せん』     (評訳)  耳根は耳後骨の上もさうなれども、  耳の弦根(げんこん)の上、  耳角の根、  垂珠(すいしゅ・みみたぶ)の上も含む、   そこに黒子あるものは他郷に客死するとは限らず、  只だ路傍にて死する也     弦根は耳の穴の前の突起、   耳角(じかく)は外輪の上の角、   耳の付け根の所を耳根と云う。   耳の周りの耳の根の所に黒子があれば、   道路に倒れて死ぬ相。    病気で急に路傍に倒れるのも、  行き倒れも含む。  

〔訣死生期〕    ししょうのきをけっする。       『死生の期を訣するは、  気色に逃るゝ莫(な)し』      (評訳)   訣は決、  死生の時期すなわち生命の変転時機などを判決するには、   気色で見るのが一番。    逃るゝ莫しとは気色に限る、    気色の範囲を出ないということ    人の生死は気色によって判断せよとの意味。   

〔指節細脚背肥〕     しせつほそくきゃくはいこえる。       『指節細く脚背の肥ゆるは、   須らく俊雅と知るべし』     指が細く上品で、   膝から下が骨立たず肉付きが良いこと。    俊雅(しゅんが)は俊秀閑雅。    美しくあでやかな暮らしができること。    上品で美しい人はそれなりに身体を楽に暮らす相です。   

〔視瞻〕   しせん。    (解釈)  瞻視ともいう。    眼使いのこと、  眼勢の在り方にも考える     人相術では眼の相で最終的な決定をするが、   眼使いも眼相では重要なポイントになる。   

〔視瞻不正〕    しせんのふせい。     『視瞻の正しかざるは、  必定淫を好む』    (評訳)  視瞻は眼づかい、   目の玉の動きが正しくないものは、   必定淫行を好む人である     淫行は陰行にも通じ、   人に隠れて不正をすることがある。    

〔視瞻平生〕    しせんのへいせい。     『視瞻の平生なるは、  人となり剛介なれども平心なり』    視瞻の平生とは落ち着いて相手をしっかり見ること。  その眼使い。   気が強く正義感が強い。   平心とは公平なこと。    但し、  眼光が少しでも強すぎるとか、    刺すようであれば凶暴な相となる。    

〔死相〕   しそう。    もう直ぐ死ぬという相。   

〔四大〕   しだい。   四体とも云う。   首胴手足の四箇所。    首から上、  胴体、  腕手、  脚足。   

〔七竅皆歪〕    しちきょうみなゆがめる。      『七竅の皆な歪めるは、   寿は再(ま)た久しうし難し』      (評訳)  人体には九竅(きょう)あり、  九は陽数で乃ち男也。   女子には十竅あり。    其の内の七つは顔面にある。   目 鼻 耳 にて六孔、  口を合わせて七竅也。   竅はアナ奥底の知られぬアナ、   「孔」は正直に奥深きアナ、   「穴」は底の見える一点をいう。    (再びの)再の字は意味深也、   マタの意なるは勿論なれども、   七竅の輪郭ハッキリせず或は歪みて端正を破るものは、   夭折短命の方にて一反(いったん)病み付き、  臥床でもすれば危ない(寿難し)となり、    或は一反は痊(い・癒)えることもあろうが、  其の治った後に再(ま)た病みつきでもすれば必ず死に、  病まぬとも再たながいことはないといふこと也  

〔十観〕   じっかん。    人相を見る順序をいう。      『一に威儀を取る。   二に敦重(とんちょう)及び精神を看る。   三に清濁を取る。   四に頭の方円、  額の高低を看る。   五に五岳及び三停を看る。  六に五官六府を取る。   七に背厚く、  胸は坦(たいらか)に、  腹は墜(つい)し、  三甲(さんこう) 三壬(さんしん)、  体膚は細嫩(さいどん・肌理細かく柔らか)なる可し。   八に手足を取る。    九に声音と心田(しんでん・心持ち)とを取る。   十に形局(けいきょく)と五行とを観る』  

〔疾厄宮〕     しつやくきゅう。     『疾厄は印堂の下、  位を山根に居す』   『年寿の明潤なるは、 康泰なり。  昏暗なるは疾病至る』   ①十二宮の一つ。  山根(さんこん)。   目と目の間、  眉間の下の宮。   年寿(ねんじゅ)は山根と鼻準の間、  年上寿上のこと。   この部位も疾厄宮に入る。   ②(解釈) 疾厄宮は鼻全部にかかるにて、   あえて山根のみのことにはあらざる也     疾厄宮は鼻全体のことで、  山根と限定するべきではないという意味。   疾病と災厄。    健康不健康、 内臓の病気、   災難、  家庭の安否などが現れる部位。    

〔四瀆〕   しとう。     耳、  目、  鼻、  口、 を四つの大河に例えていう。   瀆は大河。   何れも水気のある部位。   

〔四瀆清明〕    しとうせいめい。     『四瀆の清明なるは、 終生の福気あり』    (評訳)  四瀆は江河(こうが)淮水(わいすい)のこと、   面相に於いては耳 目 鼻 口 を いう、   その清明なる人は終生の福気あるという  江は長江(ちょうこう)、  河は黄河(こうが)、  (淮は淮水)、  済は済水(せいすい)の中国の四つの大河のこと。   顔では耳、 目、 鼻、 口、 のことで、  何れも水気のある部位。    (そこが綺麗な人は一生涯福分がある)   汚い人はその運命も逆となる。   

〔四白眼〕    しはくがん。      (解釈)  四白又は四方白(しほうはく)などという、   眼形の如何に係らず黒睛(っこくせい・虹彩)の上下左右に、  凡て白を露(あら)わすものをいう。   黒睛の平常人に比し小型なるため四方白になるものをいう。   平常は殆ど正常普通にして、   時々刮目(かつもく・目を見開く)しては四白となるものあり、    之は四白とはいはねども、  破産し妻女を取り替える也。    何れも破敗(ははい・破産失敗)の相にして、   性格異常者に多し、   男女ともにあり    四方白ともいう、   刮目したるとき黒目の四方上下左右に白目の見えること也。    少しぐらいあるのはソレほどではないが、    多く白が出るのは四方白

〔四反〕    しはん。     (解釈)  四反とは口に稜なく、  眼に神なく、  鼻は穴を露はし、  耳に輪なき也   唇の輪郭がハッキリせず、  眼が暗く、   鼻の穴が露出し、  耳の輪郭がハッキリしない、   それを四反という。     『五六(三十歳)には必ず凶亡あるを主どる』     

〔莫教四反〕    しはんあらしむるなかれ。       『四反あらしむる莫(なか)れ、  五六に必ず凶亡あるを主どる』    四反があってはならない。    四反の者は三十歳には必ず凶亡がある。    病気で滅ぶか、 倒産するか、   悪死するだろう。   五×六で三十才。   

〔四尾底垂〕    しびていすい。     『四尾の低垂するは、  妻兒隔角』     (評訳)  四尾低垂とは、  眉尻目尻、  鼻翼尻端、  口角端の四尾が何れも共に下垂するのをいう、  両眉両目の尻のみを合わせて四とするは不足也、   此の説他を誤るもの多し    角は肉角、 性器のこと也、   夫婦の間にて感情の行き違いにて互いに角を合わせ、  相阻隔するをいう、  即ち仲違いすること。   角は又た角力(かくりき)、 すもう(相撲)也、   角突き合い等の意もあり、  争ひ衝突し隔絶する也。   隔たり角すと読みても可なり、   妻とも兒とも仲違いするという也、   実例多し性格遺伝等の影響大なり、修養反省を十分にするを要す    目尻と眉尻の四ヶ所が下がっているだけでも、  大いに妻兒隔角(さいじへだたりかくす) の例が多い。   

〔歯鼻斉豊〕    しびせいほう。      『歯鼻の斉(ととの)いて豊かなるは、   定めて庄田を享(う)くるの客』      (評訳)  歯斉いて鼻豊かなればと読み直せば、  サッパリと分明する也    歯が綺麗に揃っていて、   鼻の肉付きが豊かな人は親の財産を受ける相。    

〔四方五短〕   しほうごたん。      『四方五短なるは、  ただ謀(はか)らずして富貴なり』      (評訳)  四方とは四方面のことなり。    四方面とは頭顔の立体的に四角形に見える異形なり、   此の人必ず一代に富む也   頭と顔が四角いが角張らず、   四方に肉付きが良い人は富貴の相。   

〔下軽上重〕    しもかるくかみおもき。     『下軽く上重きは、  末主に伶仃(れいてい)せん』      (評訳)  下半身が軽々しく上半身の肉付き豊かにして重々しきをいう、   また顔面に於いても下停の痩せて弱小なるをいう。   また行動としては顔色のみ勿体らしく尊厳であり真面目であっても、  男はボロッカイ、   女は浮気でオーライ主義なのは、  下部を軽忽にするもので、  末主(まっしゅ)は晩年の運限には必らず貧乏し伶仃するといふ、  伶仃は零丁、   おちぶれる也   顔の三停身体の三停を上から初年中年晩年とし、  脚が弱弱しいのは晩年の運が弱いと見る。    吉相としては、  上体が重厚で足どりが軽いのを云うがこの場合は別物。 

〔鵲眼〕    しゃくがん。    喜鵲眼(きしゃくがん)。      『上にあるは紋の如く秀でヽは且(か)つ長し。   平生真実にしてまた忠良。   少年に発達すること平淡の如し。  終末の時は更に吉昌』    (評訳)  上に有るとは眼上に余皮ありて紋の様にも見える、   瞼上(けんじょう)の細小のタルミなり、   これを上にあるという、  それが秀でヽ且つ長いのである。   且つ長しの文はこの目付きの人は男陽(男根のこと)は長目なり、   女陰は核長大なりとの隠語。    この人は平素に真実を守り忠良の性ありとのこと。   年少(としわこ)くして発達出世もすること平淡のやうだとある。   終生末主には更に吉昌づくめである     喜鵲眼というも同じ、  喜鵲とはサカリのついたカササギという意なり、   果して鵲鳥(かささぎ)の目がこの形を仕ているか否(いな)かは不明。    眼裂細小なる方、   (目の)上下の余皮あり又た肉付き裕かにして、   美しき目付なり。    眼球は小型の方にて黒光温良、  球は正視なるも、   時には上下左右に傾く動きあり。    性的には永続性あり、 男女ともに吉し

〔雀眼〕    じゃくがん。    雀目(じゃくもく)。       『雀目は睛黄赤にして視に偏あり。   側頭斜視すること憂煎(ゆうぜん)に似たり。   顛狂にも座行にも頭膝を揺がす。   定めて是れ弧生百年に倒なむ』     (評訳)  雀目は眼睛の色は黄赤であって、  その目使いは偏する傾向がある。   その動作は頭を側だて頸を曲げ或は横に向け、   物を見るに斜視すること恰(あた)かも何か心配ごとか心のいらつくこと(憂煎)でもあるらしい。    立っても座っても歩行するに顛狂(てんきょう・動作が落ち着かない)する様な態度で、   頭や膝をゆるがし。    定めてこの人、   一生孤独で居ることの方が多いだらう

『雀目なるは顛狂にして疑忌あり』     (評訳)  顛狂とは酒に遺伝症のため頭脳を害し、   風顛燥狂の傾向あるもソレは重きもの。   軽きものにても時々目をデングリ返すクセあり、   その四方白(しほうはく)に成りかヽりは三代位前の酒癖の故にて、    性は気ガルなるも軽燥粗忽又は素頓狂(すっとんきょう)の傾向あり、   マタ小胆(しょうたん)にして臆病敏感にして疑い深く嫌い強し  

『雀目は円小にして睛は赤黒色なり、   頭を側だてて斜視し、   多く人よりの軽易を受くるも好んで口腹のことを嗜(この)み、 終に小人たり』     (評訳)  眼裂小型に円々とチョボチョボ、    敏捷(びんしょう)らしくズルそうな趣あり。    球は黒くまた四白に近し、   燕眼(えんがん)に似たる所あれど下品にて鄙(いや)しい

〔雀班〕    じゃくはん。    雀卵班(じゃくらんばん)ともいう。   黒子シミソバカスのどのこと。    雀やウズラの卵にある斑点に例えて云う。    部分的にシミやソバカスが集まっているのもいう。    

〔鷓鴣眼〕    しゃこがん。      『眼は赤く黄みあり、   面は紅を帯びる。   揺頭征歩すれども貌(かたち)は隆の非ず。   小身にして小耳、  常に地を看る。  一生終に珍寶(宝)に足らず』      (評訳)  眼は赤黄であるが鷓鴣眼の人は面は紅を帯びアカラ顔である。   首をフリフリ真直に肩や腰をすえて正しく行くが、  サッパリその風采は上らないで隆とした所がない。    この人多くは背たけは小柄の方、   また耳の全形も小さいか、  或はその(小柄か耳が小さいかの) 一方かであらう。   そして普段に下方を向いてるクセがある。   小身でも耳が大型ならば好い、   耳の身実(みみ)なる所以(ゆえん)である。     一生終に運開かず、   その生活も豊かならず、   また男女とも終に一生不遇に送るか、   男女互ひによき夫妻に相逢はない、    珍宝(ちんぽう)は陰意あり    鷓鴣といふ鳥は日本に該当者なし、   燕眼(えんがん)に類すれども単眼(たんがん・一皮目)なり、    眼球は少し下向きのもの也。     川千鳥の如きはやヽ似たり   

〔重頤碧眼〕    じゅういへきがん。      『重頤にして碧眼なるは、  当に(まさ)に貴高の僧たるべし』      (評訳)  重頤とはダブルチンで小肥りの表徴、   碧眼は黒目の浅碧(みどり)を含み、  白目に青味ある眼、  ソレは当に貴高の僧となるであらう 

〔重頤豊頷〕    じゅういほうがん。      『重頤豊頷、  北方に人、  貴にして且つ強し』     (評訳)  重頤はアゴが重なっているような、    ハッキリした二重頤。    豊頷は頷の左右の肉が豊に垂れ下がる相。    重頤も豊頷も北方の人は運が強い    顎は北岳であり北方を表すから、   顎が立派な人は北方の人であり、   その気を受けて運も強い。    南方の人は額が発達して顎が弱いことが多い。   額も顎も立派であれば南方北方何れにも強い。  

〔雌雄眼〕    しゆうがん。     陰陽眼(いんようがん) と 雌雄眼を合わせて陰陽雌雄眼(いんようしゆうがん)と言う。      『両目に雌雄あり、  睛に大小あり。   精神あり光彩あり、  人を見ること斜。   心(こころ)非にして口に是をいい誠実なし。   富を積むとも奸謀あり詭あり(いつわ)りて奢(おご)らず』      (評訳)  左右両眼の形に大小長短あり、   又た眼睛に大小あるものもあり。    目には精神も光彩もあれど、  人を視る場合には流し目に見ること色目的也。    心中には非也と思へども口だけには是といいて、   誠実の気分少しもなし。   相当に内福といわれる程度にはあれども、   奸謀深く余り金のある容子などは見せず、  詭りて人前ではぜいたくな事はせぬ也      眼形は一定せず種々の形状がある、   眼球の左右大小あるを陰陽眼、   両目の眼裂に大小長短不同形あるを雌雄眼という、   合わせて陰陽雌雄眼なれども、  委しくいえば別物也。   但しその作用は大体に於いて似たるものとす。   中には眼球も目裂も共に、  或は互ひに大小長短相異するものもある、    これは中々複雑だが、  よく分解考慮を要する。   コレは概して其の性秘密を好み為和寛険の気風に富む。    蓄財と鄙吝(ひりん・いやしい)の思想はあれども大富限(だいふげん)とはならず、  到底小富(しょうふ)の域を脱せず、    或は終生ヤリクリの濁貧(だくひん)なるものもあり。    男は所謂恐妻病にて妻妾(さいしょう)を恐れ、   女は淫姦を行い、   また他の淫事に干与することを好み、  又たその間に処して利する所あらんと欲する傾向あり。   ゼスチュアで片目を小さくする人あり、  コレも稍々(やや)相似たる程度のものとす     淫事はミダラなことと隠し事の両方をいう。 

〔十三部位〕    じゅうさんぶい。     額の生え際中央から頤の端までの十三の部位。   上から、 天中(てんちゅう)、   天庭(てんてい)、   司空(しくう)、  中正(ちゅうせい)、  印堂(いんどう)、  山根(さんこん)、  年上(ねんじょう)、  寿上(じゅじょう)、  準頭(せっとう)、  人中(にんちゅう)、  水星(すいせい)、  承漿(しょうしょう)、  地閣(ちかく) の十三に部位。   

〔重瞳〕    じゅうどう。      (解説)  瞳孔の黒睛(こくせい)の中に二重巻きのごとき形せるもの、  双瞳(そうどう)とは別なるも俗書には混同す。  双瞳は黒睛中に二個の瞳子(どうし・ひとみ)が相並びてある也。    大抵はその一つは疑似にして盲なるが多し。   時には上下にあるもあり、   蓋し稀なり     瞳が二重巻きになっている相で、  覇者の相。    双瞳は左右上下に円形の黒子などがあるものらしい。   覇者か大悪人の相と言われている。  

〔十二宮〕    じゅうにきゅう。    ①命(めい)宮、  ②財帛(ざいはく)宮、  ③兄弟(けいてい)宮、  ④田宅(でんたく)宮、  ⑤男女(だんじょ)宮、  ⑥奴僕(ぬぼく)宮、  ⑦妻妾(さいしょう)宮、  ⑧疾厄(しつやく)宮、  ⑨遷移(せんい)宮、  ⑩官録(かんろく)宮、  ⑪福徳(ふくとく)宮、  ⑫相貌(そうぼう)宮 。 以上の十二宮。    

〔秀眉〕    しゅうび。      (解説)   (眉が) 秀づるとは日出づる也、   (毛並みが)始めに下より上に昇り、   終わりに下る勢あり、    皮面より立ち上がり離るゝもの也     眉毛に少し青味があり、 毛並みよく少しも濁気がない。   良い眉相の筆頭にあげられる。     『秀でて湾長天庫を過ぎ、    目より長く鬢に入る。   聡明にして早歳に科第(かだい)に登る。    兄弟友姓名香』    秀眉の人は聡明で若くして出世をし、  兄弟ともに名を顕す。  

〔手脚粗大〕    しゅきゃくそだい。      『手脚の粗大なるは、  富貴たり難きの徒』     (評訳)  概念的には顔面と体躯(たいく)に比して、   割合に手足の大形なるもの。     これは到底労働者として立ち働くのみにて、    富貴とは成られず若(も)し少しく蓄財すれば破敗ありと也   

『手は粗く脚の大なるは、   必らず是れ姨婆なり』     (評訳)  姨婆(いば)とは一生不遇にして嫁にも行けず、   同胞のかかり人(厄介者)となり、   又は他の雇人となりても我まゝが多く自分勝手を働き、   威張り姨ばりて頑ばり、  本人自身のとりては寧ろ気易く世を送る女、   ソレに成るだろう

〔寿骨〕    じゅこつ。     耳の後ろの高い骨。    寿堂とも云う。  

〔寿上〕   じゅじょう。     鼻の中央部の部位名。   百三十部位の一つ。    年上の下、  準頭の上。  

〔寿堂〕   じゅどう。       『耳根の高骨は、  名づけて寿堂と曰う』    『耳後骨の起れるを名づけて寿堂という』    耳の後ろの骨の高いのを寿堂といい、  寿骨ともいう。    長生きの相。    

〔寿夭〕   じゅよう。     寿は長生き、  夭は若死に。     長生きか若死にか、    生きるか死ぬか。     寿命。  

〔承漿・地閣〕     しょうしょう・ちかく。      『承漿地閣は盡(ことごとく)末年を管す』     (評訳)  盡末年は六十以上、   晩景のことを管するのは承漿地閣の辺である    承漿は下唇の中央下にある。    地閣は下顎。   承漿から下は晩年の運命を現わす。    普通には晩年の運命は人中から下、   アゴの端までの下停で判断する。     承漿は下停の内に含まれる。   

〔上停〕     じょうてい。     ①顔面では生え際から眉間までを云う。    ②身体では首の付け根から上が上停。   

〔獐頭・鼠目〕       しょうとう・そもく。      『獐頭にして鼠目なるは、  何ぞ救官を必せむ』      (評訳)  獐は鹿の一種でノロという、   顔面大きく頭部小にして髪毛少なし、     人の頭形それに似たのをいう。     鼠目とは眼裂(がんれつ・目の長さ) 短かく眼睛(黒目が)いっぱいにあり、  目は光れども眼中暗黒に見える也。   右の二つ(獐頭と鼠目)のものは官(官人・役人)になろうと求めてもムダだとなり      獐は鹿の小型で角がない。     鼠目は鼠眼とも言い、   眼裂は眼の裂け目のことで、    この場合は眼の長さのこと。    官は役人の職で今でいう公務員か。   

〔正面〕    しょうめん。     (解説)   正面には臉(顴骨)の正面と、     額の正面とがあり    ①眼下一寸三分を眼下の正面、   一名は顴(けん・頬骨)の正面。    ②額上の正面。   天庭、 司空、  中正を合わせて一寸三分の円内。   

〔正面無権〕      しょうめんにけんなし。      『正面に権なきは、  宅舎に居り難し』      (評訳)   正面は顴(けん・顴骨)の正面、    其処に肉付きなきか、   有ったとしても左右偏頗(へんぱ・同じでない)なるは、  権はハカリ左右均斉なるを要す、     また権は力なり、   顴は本来は権。    日本の医家がこれをカン骨とよみ、    遂には坎骨(かんこつ)などとアテ字を使用するは、    明治以来の誤りにて粗忽なる読み方也。    その顴に力なき人は終生ワビ住居をするより外はなかろう。   宅舎とは立派な家邸(いえやしき)のこと      顴骨(けんこつ)に力がないか左右が不均衡であれば、    権勢を得難く大した出世はできないだろう。    偏頗は傾き偏ること。   

〔小人形法〕      しょうにんぎょうほう。     こにんぎょうほう。     顔面に人体を当てはめる方法。     天庭 司空を頭、  印堂を胸、  眉を腕、  鼻を胴体、  法令紋を脚に配当する。  多くは病気や怪我の判断に応用する。

〔正面骨開』      しょうめんのこつひらける。       『正面の骨開けるは、  粟陳(ふる)く貫朽あるなり』     (評訳)  正面には額の正面と臉の正面とあり、  思うにこれは額の正面のことをいう。    骨開くとは骨気があり額部の開濶に見えるものなるべし、   粟陳(あわふる)く貫朽(かんきゅう)は粟は米あり余りて陳(ふる)く古米になりて廃物になるほどあり、   貫は貫録もクサルほどにある、    ツマリ有福すぎる位の旧家にならうと也 

〔正面黄光〕     しょうめんにこうこうある。       『正面に黄光あるは、 思うこと遂げざる無し』      (評訳)  正面には言ふ所に二あり、   眼下の一寸三分を眼下の正面、  一名顴(けん)の正面という。   今の百三十部位にては眼下の一小局部に指定あり。    他は額上の正面は天庭司空中正を合わせて一寸三分(の円内)。   此の正面とは眼下の方なるべし    眼下、  頬骨の正面に明るく冴えた色があれば、  思うことが全て通達する相。   実地鑑定の時には顴の正面と額の正面とを合わせ見て判断することが肝要。   

〔上相〕    じょうそう。      上格の相、  良い相のこと。     

〔承漿〕    しょうしょう。      (解説)   承漿は唇の下とあれども、   実際は下唇の一部を含め考えること   ①下唇の中央の下一指頭大の部位。    ②下唇の添った、   下唇の下側一帯。    水難、  食あたり、  薬違いなどの現れる部位。   

〔承漿深紋〕     しょうしょうのしんもん。     『承漿の深紋は、 恐らくは浪裏に投ぜむ』     (評訳)  承漿は唇下とあれども、  実際は下唇の一部を含め考えるべし。   ソコに深い紋があるのは水厄なり。    浪裏(ろうり)に投ぜんとは身投げでもするだろうということ、    他から来る水難ではない。   其の人の運命が悪く、  自然にソコに落ちこむに至る     下唇の下に深い横紋(多くは浪のようなうねった紋)が現れたなら、  波間に身を投じる水難の相。    船が沈没するなどの全ての水難を含むと思って判断したほうが無難。   

〔女子肩寒〕     じょしのかたさむ。      『女子の肩寒きは、  弧刑ありて再嫁せむ』     (評訳)  女子の肩端に肉気少なく寒々と見えるは、 弧刑にしてゴケとなり、   また再嫁もする也。    日本語にては寡婦(かふ)をゴケといい、   その宛字(あてじ)を後家とするも、   実はそのゴケというはこの弧刑(こけい)の訛語ではないかという

〔女子眼悪〕     じょしのめあしき。      『女子の眼悪しきは、 嫁しては即ち夫を刑す』      (評訳)  女子の眼形(目付きなど一切)見苦しき也。    蛇眼(だがん)、  馬眼(ばがん)、    三角眼(さんかくがん)等は最も悪し     眼形はいうに及ばず、   目使いや斜視、  眼光強力など、  癖のある目一切を悪眼と云う。   女子で悪眼の者は夫運が悪い、   夫を駄目にするという意味。    

〔尻上がり眼〕      (解説)  尻上がりは権勢欲求的傾向がある、   欲張りで威張りたがり、  主我的であって他との調和力は極めて少ない、    そのクセ心もちは素直でアッサリしている     反対に下り目の者には曲者が多い。    眼光の強弱で我の強さを判定して間違いがない。    

〔耳輪〕     じりん。     耳の外枠。 

〔歯露〕   しろ。   歯が露出していること。   露歯。   

〔歯露・唇掀〕    しろ・くちびるあがる。       『歯露にして唇の俽るは、 須(すべか)らく野死を防ぐべし』     (評訳)  野死は野垂れ死にのこと、  掀唇露歯なるものは、  その性格運命上正に斯(か)くあるべしと也     唇が巻き上がって歯が露出しているのは、   野垂れ死にの運命だから反省修養しなさいとの意味。   

〔白如枯骨〕      しろきことここつのごとき。       『白きこと枯骨の如きは、  亦(ま)た身の亡ぶるを主どる』     (評訳)   白は気色でありまた皮膚面の色(血色)でもある、   枯骨は白骨、    皮面の色沢なき形容なり。    その本身の死を語るものである     面色が白骨のような白い色であれば、   もうすぐ死ぬだろうと。    枯れた白色は死の色。    

〔神〕    しん。     (解説)   神とは 面神、 眼神、 体神、 等の凡てを含めいう、   その身より発散する神気也。    ソレは精神の一部には相違なきも、   精神は心意力に従う場合あるに、    これらの神気は不随意のものなり     神は生命力、   精神力、  運命力のこと。   魂の意味もあり。    全身から発する力を体神(たいしん)、   顔付きに現れた力を面神(めんしん)、   眼光に現れた力を眼神(がんしん)という。     『神は眼を主とす』  神の露出、  隠れる、  枯れるなどの表現あり。     『気濁り神枯るゝは、 必ず是れ貧窮の漢』    雰囲気が濁って眼神が枯れて力がない者は、   必ず貧窮である。   

〔有神無色者生〕       しんあればいろなきものもいく。      『病淹(ひさ)しく目は閉づれども、  神あれば色無き者も生く』     (評訳)  淹(ひさしい)は滞ること、  長引くこと、   留まること、 久しいこと。    病むこと久しうして疲れること多く自然に眼は閉じれども、   面神があれば顔色はなくてもそれは死ぬとは限らない。  生きるものである      神には 体神 面神 眼神 がある。    長患いで顔色が引いていても、   神があれば生きる。    古典に 「神は目を主とす」 とあり、 眼神が肝心ということ。     神とは生命力のこと。    

〔神異賦〕     しんいふ。      『神異は秘授を以ってするに非ずんば、   豈(あ)に塵凡の能く解推せんや。    言語を以ってせず、    隠にして之れを授く。  石室の丹書を発(ひら)けば、 吾が道忘らるゝ莫(な)し。     神仙の古秘を剖(ひら)いては希夷(きい)に度与(とよ)せり。   一覧遺る無くんば方(まさ)に知らむ、  神異賦の誣妄(ぶもう・偽り)にあらざるを。    千万伝ふるなかれ後学凡庸俗悪の子。    慎めよや之を慎め』     麻衣仙人のことは出生死所詳らかならず。    麻衣道人というのみにて姓氏道号字等一も伝わらず      希夷とは陳摶希夷(ちんたんきい)という仙人。     陳摶字(あざな)図南(となん)、   自らは扶揺子(ふようし)と号せり。    相人の法に精(くわ)しく・・、    白雲仙人といふ      中国の晩唐のころか五代の時代に、  崋山の石室に隠れた麻衣(まい)仙人から、  陳図南(ちんとなん)という仙人が授かった人相術の秘伝を賦の形で残したものと言われる。    陳希夷先生は中国人相術中興の祖といわれている。   大修館書店の漢和辞典の中国学芸年表には 「九八九年、陳希夷没。」  (儒・仏・道三教の一致を説く)  神異とは 神変異常のこと。      

〔神気〕     しんき。     神と気を合わせて言う。   神を神気と云うこともある。    

〔神気澄清〕    しんきちょうせい。      『神と気と澄清なるは、   利名両つながら得んむ』      (評訳)  神気の生きいきした澄清なものは、  利益も名誉も両方とも獲得出来るだろうと也       澄清は澄んで清いこと。     清い相と寂しい相とを見誤らないように要注意。     雰囲気や顔色や歩き方などが寂しいのは孤独の相。

〔神緊眼円〕     しんきびしくめのまどか。        『神緊しく眼の円(まどか)なるは、   人となり急にして燥(さわ)がし』      (評訳)   神は眼神、  眼神がビリビリと響くように緊しい、     それには面神も伴って烈しく眉の毛が立ち、  顔筋がつれるようであり、   目玉のマルマルとした様なのは、 その人柄がセッカチで騒がしくお調子もので気嫌買いである     気嫌は機嫌。   嫌われる。    目が丸く眼光が暴れ出るような者は、   短気凶暴で手に負えない相。   眼光が暴出すること、   刺すような目とは別だが、   凶暴な悪眼(あくがん)には変わりがない。  

〔神清・骨秀〕      しんきよく・こつひいでる。       『神清く骨の秀でたるは、   必らず名観に住す』      (評訳)  眼神 面神ともに清く、   骨気の秀でたものは必らず出世して名観(めいかん)とは大なる寺院、  その住職になるだろうと也     体神、 面神、 眼神、 ともに清らかで力があり、  骨格が整い風格がある人は出世をする。       

〔人形似鬼〕       じんけいのきににたる。      『人形の鬼に似たるは、 衣食は豊かならず』       (評訳)   鬼(き)は日本のオニの形にはあらず、   幽霊幽鬼のこと也(なり)、   その人痩せて凄じく物慘(いたま)しき様子合のもの也、    ソレは衣食豊かならず     幽霊のような雰囲気相貌では、   衣食にも事欠くだけではなく、   病弱で孤独の運命となる。     

〔心形一致〕       しんけいいっち。     人間の心と身体は一致する。   心と人相は一致するという観相学上の法則。      思いは絵に成る(天童春樹) 顔面に現れる画相に限らず、  人相全部が心の絵であり、 人工的なものは勿論、  何もかもが思いによって作られたと言える。      宇宙も親神の思いによって作られたのか。   宇宙に意識はあるのか、   物理的な法則も意識なのか。     「思いは全てに先立つ(法句経)」  

〔心形変化〕      しんけいはへんかす。     心も人相も変化するという観相学上の法則。      麻衣老祖は 「相は心を追うて生じ心を追うて滅す」 相は心の後にあり、 心は相の先にあり」 と云っている。    心は環境で変化し、   心は環境を作る。

〔神光満面〕     しんこうありめんにみつる。       『神光あり面に満つるは、 富貴心に称(かな)う』      (評訳)  神光は面神なり、 面上に見(あら)われる生き生きとした色沢なり、     それがあるのは富貴向上思いのまゝ也     顔色が明るいとか暗いとかの問題ではなく、  顔に力があるかどうかのこと。     明るい色であっても顔と色に力がなければ破敗の相と判断する。     面神(めんしん)とは、   顔に現れた神気(力)のこと。    他に体神と眼神がある。    「神は眼を主とす」  

〔神稱於形〕     しんのかたちにかなう。      『神の形に稱ふは、 情懐舒暢なり』      (評訳)   神とは面神 眼神 体神 等の凡てを含めていう、   その身体より発散する神気也    若(も)し形と神と俱に完く、  足りて偏せざる者は身心安泰の相也     神の形に稱うとは、    神も形も力と余裕があること。     情懐舒暢(じょうかいじょちょう)とは、 心持ちがノビヤカなこと。   

〔神賽於形〕    しんのかたちにまさる。       『神の形に賽るは、 庄田に栄足あり』      (評訳)  神は体神なり、 全体より発する神気ありて、 その形格(全体)を掩(おお)うかに見える也、   これは定めし家倉田地財産がタップリと栄え足るべしとなり、 賽(さい)は横形に動き覆ひかぶさる貌(かたち)、  賽銭は横行して覆合する形にバラ蒔くなり、  浅草へ行きて十円玉一つ位タテに放りなげて、 子孫長久福徳万全等を祈りてもダメ、   賽銭は数個の小銭を横形にバラ撒かざれば、 御利益(ごりやく)はOKとならざる也、  然らざれば賽銭は却りて災銭と成る也   

〔更忌神昏〕      さらにいむはしんのこんするなり。      『更に忌むは神の昏するなり、 八九にも也(ま)た意(こころ)に稱(かな)うことなし』     (評訳)  『四反の相』 の上にその部の神気乏しきなり也。    八九は七十二才也、  また思う通りにはならないと也。    貧乏もするし身体も弱ろうということ     四反の相より更に忌むのは眼神が暗いことだという解釈もある。    一生心に叶うことが無い、    思い通りにはならないという意味。   神(しん)は眼を主とす    四反とは、 ①眼に神がなく、 ②鼻は穴を露出し、 ③耳に輪なく、 ④口に稜なし(唇の境界線がない)、 の四つの相。  

〔心性質〕     しんせいしつ。      三質の一つ。   脳髄と神経が発達した形質。     そこから弱い、 寂しい、 考えるという意味が導き出される。    神経質、  思索型と言われる。    頭脳の発達、  顔の上停が広いのと、  思索するような目に特徴がある。    他の二質との調和がよければ上相、 偏れば下相となる。 

〔神若崢〕     しんもそうこうならば。      『神若(も)し崢ならば、  凶豪にして悪死せむ』      (評訳)  神は面神 眼神等を含める、 崢(そうこう)とは山に大木あり険阻高俊(しゅん・高い)なるが如く、  その人物の険しいことの形容、   その如き人は必ず凶豪であり、  遂には死にざま悪しく死ぬるといふ也      顔つき眼光が険し過ぎる(強暴)な人は、  凶暴で死に際も悪い。      

〔神相全編〕       しんそうぜんぺん。     中国は清の時代(一六四四~一九一一)の初めの頃に編集された人相術の書。    それまでの伝書を纏めたもので、  宋希夷陳摶秘伝  明柳荘(りゅうそう)袁忠徹(えんちゅうてつ)訂正とある。   目録は人相篇、 相児経、  巻一~十二まである。      神異賦あれば、  全てが収まっているといえる人相術の教科書。       

〔神相全編正義〕       しんそうぜんぺんせいぎ。     日本の文化年に中国の神相全篇の主要な所を、   石龍子法眼(せきりゅうしほうげん)先生が訓読で読みやすくして出版したもの。     神相全編、  正義 ともに図解は全く当てにならない。      

〔神脱口開天柱傾欹者死〕       しんだっしくちひらき、 てんちゅうけいいするものはしす。     『神脱し口開き、 天柱の傾欹する者は死せん』     (評訳)   神は 面神 眼神 体神等全部の神気をいう、    その神気が虚脱の状となり、 口は開け放しになり、  天柱は鼻筋と考える方が宜しい、    鼻梁が曲がればその人は死ぬる也   天中には首と鼻の二つがあるので、   鼻筋の力が抜けるのと首が力なく傾くのも考え合わせるほうがよい。     

〔神帯桃花〕       しんにとうかをおびる。       『神に桃花を帯ぶるは、 也(ま)た須らく児は晩(おそ)かるべし』    (評訳)  ここでいう神は眼神にあらず面神のこと。  眼瞼外眼の周囲に紅色を帯び婀娜(あだ・色っぽい)なる眼形また面色なり。  目を主にしては桃花眼(とうかがん)という。  桃花(とうか)とは桃の花のような桜色のこと。   神(しん)には、 体神、 面神、 眼神、 がある。   眼光が色っぽいこと。   顔全面が桃色の場合は桃花顔(とうかがん)と言う。   孤独か若死にの相。   神に桃花を帯びるとは、   雰囲気、 顔付き、 顔色、 眼の回り、 目付き眼光の全部を指すと解するのが無難。    一事が万事、  桃花も人相の全てに滲み出ているとしるべきだろう。   子供でも特に跡取りが生まれるのが晩いという意味。  

〔神之不足〕      しんのふそく。      『神の不足は、 酔わずして酔うに似たり。   常に病酒の如く、  愁えずして愁うるに似たり、  常に驚怖(きょうふ)するが如し。  嗔(いか)らずして嗔るに似たり。   喜ばずして喜ぶに似たり。    驚かずして驚くに似たり。   癡(おろか)ならずして癡なるに似たり、 畏(おそ)れずして恐るゝに似たり。    容止昏乱、  色濁り、 神色悽愴(せいそう・いたましい)、 常に失(しつ・呆然とした様)あるが如く、   恍惚(こうこつ・ぼんやり)張惶(ちょうこう・あわてる)、  常に恐怖するが如く、   言語は瑟縮(しつしゅく・ちぢまる)。   羞じて隠蔵するに似たり。    貌(かたち)低催(ていさい・冴えず)。   凌辱(りょうじょく・辱める)に遭うが如く、   色初鮮やかにして後に暗く(見かけは鮮やかでも次第に暗くなる)。  語、 初め快くして後に訥(ども)る。   これ皆な神の不足也。   神の不足は多く牢獄の厄を招く。   官亦(ま)た位を失ふことを主どる』    神の不足する者は、  役人なら位を失い、  俗人なら牢獄に入ることもあるだろう。    「神の有余」参照。 

〔腎浮不緊〕     じんふにしてきんならず。       『或は如(も)し夭折して成り難きは、  腎浮にして緊ならず』     (評訳)   腎とは外腎、  陰嚢(いんのう)のことソレがブヨブヨとして緊(しま)らないものは、   夭折は若死に成長の途中で死亡するし、   なり難しは成人しがたいと也   子供で陰嚢がブヨブヨしているのは若死にの相。    但し現代医学の発達は目覚ましく、   若死にの相であってもよく救う例が多い。    

〔人物巉巖〕     じんぶつざんがん。      『人物の巉巖なるは、 海底に明珠の聚(しゅう)するに似たり』      (評訳)  巉はギザギザ、 巖は重々しくイカメシイ貌(かたち)、  合わせて際だちて立派なる様子、  この如きものは海底にある明珠の如く容易に手にはとれぬが実質的には美しいものであると

〔審辨官〕     しんべんかん。       『鼻を審辨官と為す。  豊隆聳直にして肉あるに宜し。  端正にして歪まず、  偏らず、 粗ならず、 小ならざるは、 此れ 「審辨官の成る」 なり。  三曲、 三彎、 孔露れ、 竈仰ぎ、 偏弱(小さく弱々しい)、 背(骨)を露(あらわ)し(痩せて骨が露れる)、  太(はなは)だ大にして弧峰(こほう・鼻ばかり目立って高い)の如きは、 此の人兇悪貧苦にして成ること無し。   刑悪、 邪欲にして奸貪(かんとん)なり。  此れ 「審辨の官ならざる」なり』   

『竅(あな・穴・鼻孔)小なれば慳貪(けんどん・ケチでムサボル)なり』    左右の胞(ほう・鼻を左右に分けて言う)、  之を仙庫と謂ふ。   左胞を左庫(さこ)と名づけ、 右胞を右庫と名づく。   夫れ庫は高く豊厚ならんを欲す。    竅は庫の戸也。  戸は小にして斉(ひと)しからんを欲す。   庫の厚くして、 隆(たか)く戸の小にして斉しき者は、  庫内に積めるもの有る也。   庫、 狭くして薄く戸・大にして薄き者は、 庫に積める無き也。   竅小さく庫の斉(ひと)しき相は、 好く聚(あつ)めて捨てず、 戸・寛(ひろ)く反(そ)りて仰げる相は、 積める無くして施(せ・ほどこし)を好むもの也       

『高隆なるは顕官』     鼻を土宿(どしゅく)と為す。   万物は土に生じて土に帰す。    これを山岳に象(かたどる)る。   山は高きを厭(いと)わず、  土は厚きを厭わず。   又、 一面の表(ひょう)と為す也。    夫(そ)れ天地人三才(さんさい)の中、   鼻は人(じん)たる也。    高隆を得て貴からむと欲す。   惟(ただ)鼻は嵩岳(すうがく・五岳の一)と号す、 中(顔面の中央)にありて天柱(てんちゅう)として高く聳ゆ、 梁(鼻梁)は豊隆を貴しとす。   漢の高祖は隆準(りゅうせつ・準は鼻についての特別な読み方なり

〔神短無光〕     しんみじかくひかりなし。      『神短く光無きは、 早に幽冥に赴くの客』      (評訳)  眼神短く光乏しき也     (解説) 目の神短促にして光なく、  視瞻(しせん)力なくして昏暗なる者は夭折あるを主どる    神は眼神のこと。   神短くとは、  眼光が弱く光が乏しいこと。    眼光が弱く乏しいものは、 早年にあの世へ行くという意味。     急に眼光が弱ると、 近いうちに病気か災難に遭うことがある。   

〔神之有余〕     しんのゆうよ。      『神の有余は、  眼光清瑩(せいえい・清く美しい玉)、  顧肦(こはん・見ること)斜ならず、  眉秀でて長く、 精神聳え動き、 容色澄徹(人相が澄んで明るい)、  挙止汪洋(動作が堂々)、 恢然遠視(ゆったりと遠くを見るような)、 秋日の霜天を照らすが若(ごと)く、 巍然(ぎぜん・立派)として近く矚(み)れば、  和風の春花を動かすに似たり、  事に臨みて剛毅なり、  猛獣の深山を歩むが如し、   衆に出でて逍遥(しょうよう・気儘に楽しむ)す。  丹鳳の雲路に翔(か)けるに似たり。   其の座すや堺石の動かざる如く、   其の臥すや棲鴉(せいあ・巣の鳥)の揺(うご)かざるが如く、   其の行くや洋々然として平水の流れるが如く、 其の立つや昴々然として弧峰の聳えるが如し。   言妄りに発せず、   性妄りに躁(さわ)がず、   「喜怒其の心を動かさず」、  栄辱(えいじょく・名誉と恥辱)  其の操(みさお)を易へず、   万態紛錯(ふんさく・入り乱れる) を前にして 「心常に一なり」。   是れ則ち神の有余と謂うべき也。   神有余の者は皆な上貴の人たり。   「凶災其の身に入り難く」、 天禄永く其れ終えん』     神の有余する者は、 上貴の人で、 災いに遭うことなく、 天授の強運をよく保つ。