神異賦310若し限運を論ぜば、俗と一同なりと細さに根基を弁じ、各々其の妙を求む

『若し限運を論ぜば、俗と一同なり』 流年の見方は、僧侶も俗人も皆な同じである。 限運は流年の事だ 此処で言っているのは、流年の見方はお坊さんだからとか、総理大臣だからとか、職種や身分によって変わるということは有りません。 皆な一緒でよいと言うておるのです 上停で二十歳迄の運命を、中停で四十歳迄を、下停では六十歳迄を観ます。 六十一歳からは、再び額に戻って観ていく方法も併用します。 顔に十二支を配当して観る方法もあるのですが、この様な流年の見方は相手によって変わるという事は有りません 皆な一緒です

『細さに根基を弁じ、各々其の妙を求む』 運命の根本を知って、人それぞれの運命吉凶を知らなければなりません。 『天童観相塾・人相術講座より』 運命の根基(根本・大元)を知るという事は、人間とは何かを知ることですね。 そうして、各々の人の運命の吉凶の原因を探って指導しなければなりません。 身分や地位、年齢や職業などは人それぞれですから、そういった事情をよく頭に入れて生きた判断をしなければなりません。 運命鑑定は、吉凶を当てるだけでは駄目ですね。 病気が良くなったり、災難を逃れたり、開運して喜ばれてるだけでもいけません。 人相見は、いくら当たって、人を幸せにしても駄目なんですね。 「細さツブサに根基を辨じ」ですから、「どうしてこのうな運命になったのか」を相手に気づいてもらわなければなりません。 そうして、各々が吉凶の根本に気づいて、自分で開運できるようにしなければ駄目なんです。 この様に大先生は言うておられます 全く神異賦の言う通りですね  自分も此の様に思います。 街頭で運命鑑定していても、何年も、何回もずうっと何時までも、自分の所に来続けるという事は、人相見として自分で開運できるように指導出来ていないということなのです。 自分で開運出来る様になって、立派に、もう占い師は必要ないとなれば其れで良いのです。 自分が考えているのは、多くて三回ですね。 三回鑑定して、後は自分で開運できる様に指導しています