『自我に相がある』
人には生まれながらの悪相というのは無く、悪はみな自我が生み出すものである。つまり父母から授かった
心と身体とを自我が苦しめているようなものである。したがって人それぞれの相は生まれながらのものではない。
(南北相法より)
南北先生の仰る通りです。 其れにプラスして実地鑑定をしていて感じるのは、家系の因縁・命を運んできた家運、家系の因縁、
の流れの運命(相)ですね。 父母・祖父母の家運状態、祖父母・父母の生き方と家運から来る運命は自我と相まって相を形作るという事だ
故に、それぞれの相が有る 自分と縁の有る人は相を観て小則救人危難・大則活人性命、遇吉則推・逢凶可断の鑑定をさせて頂きます。
又陰相・陽相の別は三停平等、五岳朝帰、六府、上分の相と其れに外れるものがあり、腎気強く、五官の正しきものとそうでないものとがある
顔の上停・中停・下停、躰の上停・中停・下停の他 神気の強弱 相に力が無いといけないし 器の大きさはどうかや 心の持ちようと心の動きである。
『心相と神相』 相は心に随って生ずる故、相は其の人の心のままが現れている 神相は自分でも気がつかぬ心の奥深くで分かっている事が
心の動きとなり、眼の動きとなり身体の動きとなって現れる 或は気色・血色・神動線・画相となり無形や起肉などでも現れる。
何もないのに何回も振り返ってみたり、煎られる様に落ち着かぬ者、座して落ち着かぬ者、眼の定かならずの者、
本人も気が付かぬ善事ある時は黄紅美あり、明るくて兎に角、吉事有る如き何とも何ともに嬉しそうな明るい顔しとるものです。
とにかく、忠孝五常相と意誠を知ることなどは相者なら理解する必要が有ります 形を観て判断するのではなく、其の形(相)を作った
元となる心を観する事である それは有形だろうが無形だろうが、心相だろうが神相だろうが、
全て心発ココロハツであることと知る可し 此のことはよく考えなさい。
太塚覚龍観相塾 太塚覚龍